メダカは小さな太陽を頭に乗せて、いつだって楽しく生きている日記。
唐突に思い立って、メダカを探しにいった。
5時間くらい歩き回って、見つからないだろうなあとあきらめかけた時、川の中をメダカの一群が泳いでいた。持っていった小さな小さな網でとらえるには深すぎる川。川べりに這いつくばって、30分くらいかけて奇跡的に二匹のメダカをつかまえた。家に連れて帰って、メダカの快適な暮らしを思い描いてインターネットでいろいろと調べた。
けっきょく、メダカがのぞむ世界はぼくの部屋なんかにはないということがわかっただけだった。ぼくはなんて勝手なんだと思い気分が滅入った。
二匹のメダカは明日、もとの川にかえしにゆく。それまでは生きてほしい。
ファミレスで隣に座っている家族の会話の内容にちょっと驚愕する。
高校三年生の娘「味噌って大豆から出来てるって知ってた?じゃあ昔の人はさあ、どうやって味噌を手に入れてたんだろうね?昔は味噌なんか売ってないでしょ?」
父と母「さあなあ。」
そんなレベルなのか、日本の教育ってそんなレベルなのか、SF映画か。
ほんとうに信頼できる人間がぼくにはいるだろうかって。
「夢があろうとなかろうと、楽しく生きてるやつが最強。」だってさ。そりゃもっともだ。ある意味真理だ。ぼくはわりとそんな生き方だ。
「阿部清明人形を作り、終に一条戻橋川原に捨て候処、変化して人間と契り、子を産めり。また一説に、飛騨の工・武田の番匠、内裏御造営の時、人形を作り働かしむ。その時官女この人形に契り、子を産めり。御造営終り、川原に右人形を捨て候に、牛馬をはぎ喰い専楽とす。あばら骨一枚にして膝の骨なし。非人とはこれ也。」
『小林新助芝居公事扣』より
久しぶりに包丁で指をざっくり切っちゃった。痛みはすぐに消えるけれど、肉体に残る傷跡は、歳を取るごとに消えづらくなる。けれどおそらく、ほんとうは、消えないのは傷跡じゃなくて、痛みなのかもしれない。
この世界で唯一ぼくを照らす、小さな太陽からの置き手紙。
前略、親愛なる山陰の吸血鬼殿、あなたの名前を忘れてしまいました。あなたに頂いた、薄汚れた麻袋に入った葉を煎じていれたお茶を飲んだことが、おそらくはその忘却の原因でしょうか。でもいずれ思い出します。あなたから頂いた言葉もすべて。
Bから始まり、そしてDからMへ。敬具。
いままでも無数の選択肢にぶつかり、自分なりに考えて進んできた。その道が正しかったのか、あるいは間違っていたのかなんてことは、どちらでもないし、どうでもいいことなんだ。自分が進むんだからね。進めばそこに何かはあるし、その何かを糧にしてまた考えればいい。考えてその先に進めばいい。ぼくはどちらかと言うと、原始的な生き方をしている。何かを求めてどこかに歩いてゆくことで、生きてゆくのだ。そのくらいが、ちょうどいいんじゃないかと、ほんとうは思っている。ほんとうはね。
だから、おやすみなさい。
恐い日記: パラノーマルなニオイの謎と、本当は恐いパラノイア臭の関係性。
恐い日記:クローゼットにはヒトオトシサマがいる、本当は恐い忘れられたフォークロア。
恐い日記:風呂場から聞こえる不可思議な音が、本当は恐いヤミゴラの入り口な可能性。
恐い日記: 空間の温度変化で、そこに何かがいることを知る。
月白貉