小説-雪男
祖父の論文に書かれていたのは、真っ白い毛を持つ巨大な猿を崇める信仰の話だった。 今現在、白山八幡神社の鎮座する場所は、かつてその山を御神体とする山岳信仰の聖地であり、ずいぶん長い間この土地の人間でさえも入ることを許されなかった、あるいは許さ…
黒酒宙というのがぼくの祖父の名前だった。 読み方は姓がクロキ、そして名がチュウ、町内では「チュウさん」とか、人によっては「クロチュウ」とか呼ばれていた。 ただ、祖父は町内ではずいぶんと変わり者扱いされていて、近隣の多くの人々に陰口を叩かれた…
「こんばんは、ニュースをお伝えします。 今日午後、鰐溜市東山の白山八幡神社裏の山林で山火事が発生し、山林およそ100ヘクタールを焼いて現在も延焼が続いています。 現地対策本部によりますと消防団員およそ100人、車両20台を動員して消火活動にあたって…
ぼくが六年生になっても、山川先生との交流は続いていた。 三年生になった時、ぼくのクラスの担任は山川先生ではなくなり、 学校内では山川先生とは別の意味で評判の悪い中年の女性教員がぼくのクラスの担任になっていた。そして、運がいいのか悪いのか定か…
「シロヤマさんの裏にある山、昔は古墳だった場所なんだと言われてるだろ、神社の入り口に説明の看板が確かあったと思うが。マサヒコは古墳ってわかるかな?」 祖父がぼくの家に夕食を食べにやってくる日は、ぼくと兄が祖父の家まで迎えにゆくというルールが…
兄が失踪してからすでに二ヶ月が過ぎていた。 もちろん、ヒマラヤにゆくと行って家を飛び出していった兄が、ぼくの知っている本当の兄ではなかったのだとしたら、いったい何時の時点からを兄の失踪とするかはわからない。 ぼくが小学生の時、兄とカンマと一…
カンマの泣き叫ぶ声がその場の静寂を破ると同時に、兄は立ち上がって彼女のいる方に向きなおり、アメリカのホラー映画に出てくる狼男が月に吠えるみたいな雄叫びを上げて、背中の真っ赤なリュックサックに差し込んであった木製のバットを引き抜いた。 それは…
小学二年生の頃から学校を休みがちになったぼくには、当時友だちと呼べるような存在はほとんどいないに等しかった。 時々学校に登校しても、クラスの同級生とはほとんど話さなかったし、休み時間にも自分の席でひとり本を読んだり窓の外の空を眺めたりしてい…
「マサヒコ、今度の日曜日さ、シロヤマさんの裏山に行こうよ!」 兄が高校生になるまで、ぼくと兄は家の二階にある八畳ほどの部屋を共用で使っていた。 部屋には簡素な勉強机が二つとやはり共用の本棚と洋服ダンス、そして二段ベットが置かれていて、ふたり…
ぼくの住む町の外れには白山八幡という神社があり、地元の人々からは「シラヤマさん」と呼ばれている。 その神社の裏には鬱蒼とした樹々に覆われた小さな山が存在し、もともとはその山をご神体とする古い信仰の地であった場所らしいが、いろいろな歴史的変遷…
兄と話をしなくなったのはいったい、いつごろからだろうか。 小学生の頃、ぼくは登校を拒否しがちな子どもだった。 誰かにいじめられていたとか、勉強するのが嫌だったとか、あるいは少し大人びていて義務教育の制度に疑問を感じていたとか、とくに具体的な…
「地球上で人間が住んでいる場所なんて、世界的に見たらごくわずかなんですよ。 山や森や海や、あとは砂漠、もっと言うと空にだって人間はほとんど住んではいない、いまだに人跡未踏の土地だって多く存在するんです。だから、そういう場所がね、実際にはどん…
「お父さん、警察に電話してっ!」 沈黙を破ったのは母だった。 台所のインターホンのモニターに映し出された茶色い毛に覆われた人型の何かは、玄関のドアに体を密着させて、テナガザルのように長い右腕をドアの横のインターホンの機器に伸ばしている。 「ピ…
ある冬の日の日曜日、 父と母と兄とぼくの家族四人で、台所のテーブルを囲み朝ごはんを食べていると、兄が急に立ち上がって冷蔵庫の方にゆき冷凍室の扉を開けると、中からビニール袋に包まれた肉の塊のようなものを持ってテーブルに戻ってきた。 他の三人は…