ヒーローはいつだって、自分の光を見失わない日記。
キンキンに冷えた布団の中にひとりもぐりこんで、いつも思うことがある。
眠くなって布団にもぐりこんで、そこがすでにほかほかならどんなに心地よいだろう。でも、それじゃあつまらないだろうと。そこから自分の熱であたためるから、いいんじゃないか。その間にどれだけのことを空想しながら眠りに落ちるだろうか。それがなによりか、心地よいということ。
あいも変わらず、暖房器具のない生活をしている。まあ寒いは寒い。なかなかの寒さだ。でも死ぬことはない。なんだったらこの時期に半ズボンだ。酒を飲めば身体が温まるし、布団にくるまれば朝まで暖かく眠ることが出来る。快適な生活というのは、文明に依存する生活ではない。自分を甘やかすものじゃあないのだ。もっと原始的な生活だと思う。どちらかと言えば、立ち向かう生活だと思う。公共施設の多くに、膨大な電力を使った暖房が使われているが、あんなもの必要ないでしょ。冬はどこにいこうが寒いんだよ。
与謝野晶子の歌を読んだ。君死にたまふことなかれ。
気分転換に書店で井伏鱒二の「山椒魚」をいっきに読む。「山椒魚は悲しんだ。」
むかし、ぼくの師匠のひとりが言っていた。「ぼくの奥さんは仕事柄帰りが遅くなることが多いんです。でも帰りがどんなに遅くなっても、彼女を待ってから夕食を共にします。ぼくにとって食事の時間とは、そういう風に大切なことなんです。」って。
いままでもずいぶん大変な思いはしてきた。意味不明な修羅場をくぐり抜けてきた。理不尽で気違いじみた状況に立たされ、なんども心が折れ曲がって息ができなくなることもあった。でもたとえ心が折れ曲がろうとも、息ができなくとも、自分の眼差しを失うことはなかった。いまでもそうだ。負けないってそういうことだと思う。そういう側面において、ぼくは母と、そして母方の祖父の背中を見て育った。ふたりとも負けない人だった。ふたりとも眼差しを持たぬ人々から見れば、多くのそういう人々から見れば、ずいぶんクレイジーだったかもしれない。けれどふたりとも、特に祖父は、正義でも悪でもないカテゴリーの、なにかヒーロー的な要素を色濃く持っている人だった。敵もものすごく多かったが、味方も多かったに違いない。ぼくが二人から受け継いだそういう要素は、ある意味では、とけることのない呪いだと思っているし、ある意味では、二人からのかけがいのない贈り物だと、そう思っている。
負けないよ、おやすみなさい。
以下には、恐い日記もあるよ。
恐怖日記: パラノーマルなニオイの謎と、本当は恐いパラノイア臭の関係性。
恐怖日記:クローゼットにはヒトオトシサマがいる、本当は恐い忘れられたフォークロア。
恐怖日記:風呂場から聞こえる不可思議な音が、本当は恐いヤミゴラの入り口な可能性。
恐怖日記: 空間の温度変化で、そこに何かがいることを知る。
月白貉