ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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旧き世界の支配者たちが、いつか闇からやってくる日記。

数年ぶりに糠床を育成していて、まともにぬか漬けが生まれるようにはなったけれど、でも思ったことがある。やっぱり、どうにも正解がわからない。制御が出来ない。思い通りにならない。以前とは環境が違うこともあるが、以前の糠床の経験がまったく参考にならない。そもそも以前も思い通りになんてならなかった。すべて思い通りになんかならないのさ。正解なんてないのさ。思いの果てすら見えてはこないのさ。そう思った。

 

正解も結末も、思いの果てなんてものもないのだよ。でもおかげで、そういう域には達したよ。

 

古いアメリカのドラマを観ていたら、こんなセリフがあった。

 

キャサリン「The real world starts to seep in.You can't stop it.」

フランク「I want you to make believe that I can.」

 

「人顔のさだかならぬ時、暗き隅に行くべからず、たそがれの片隅には、怪しきものゐて人を惑はすと、姉上の教えしことあり。」

 

旧き世界の支配者たちが、いつか闇からやってくる日記。

 

周囲が狂っているのか、あるいは自分自身が狂っているのか、もしかしたらどちらも狂っているのか、だとしたら狂っているという状態が、あたりまえであり、正常な状態なんじゃないのか。でも確実に、多かれ少なかれ、世界は狂っている。数秒前に見ていた夢が、目を覚ました途端にどこかに消えてゆく。まったく思い出せない。そこには何か悪意のある陰謀めいた存在すら感じる時もある。日々生活をしていて、誰も疑わないけれど、どう考えてもおかしい日常がそこかしこに潜んでいる。いや潜んでなんかいないんだ、目の前に見えている。目の前に見えていることを、なんのフィルターもかけずに直視すると、もしかしたら人間の精神は崩壊するのかもしれない。そのために、人間には何かの歯止めがかかっている。いろんなことを制御する装置のようなものが、確実に埋め込まれている。でも、世界には何かの弾みでそういう制御装置が解除されてしまっている人たちが少なからずいる。制御装置がかかっている人間は、そういう人々の特異な言動を差別したり、病気だと判断したりしてるような気がする。

 

夢で見たことを現実世界に持ち込める人がいる。犬や猫と普通に会話の出来る人がいる。通常では考えられないような記憶力を持つ人がいる。世間に隠れて不老不死のまま生き続けている人がいる。揺るぎない魔法を使える人がいる。多重な人格を表に出すことの出来る人がいる。確実に制御装置がはずれている人々だ。

 

苦しいくらいに、吐く息が液状化してドロドロと地面に落ちるような夜を過ごした。それでもいいじゃないか。誰かのための夜ではなく、ぼくのための夜だ。道を進むも戻るも、往復して往復して、何度も往復して、きた道に戻る途中で力尽きてその場に倒れても、それは誰かの責任ではなく、それはぼくの責任だ。その責任はぼくが負うものなんだ。じゃあ、それでいいじゃないか。予言書を開くまでもなく、もういつだって知っている。

 

もういつだって知っている。

 

おやすみなさい。

 

 

 

以下には、恐い日記もあるよ。

 

恐怖日記: パラノーマルなニオイの謎と、本当は恐いパラノイア臭の関係性。

恐怖日記クローゼットにはヒトオトシサマがいる、本当は恐い忘れられたフォークロア。

恐怖日記風呂場から聞こえる不可思議な音が、本当は恐いヤミゴラの入り口な可能性。 

恐怖日記: 空間の温度変化で、そこに何かがいることを知る。

 


月白貉