叫び声を聞くと死ぬコワい生き茄子と、世界から脱出するための邪悪な穴の話。
前回までの物語
第1話:封鎖された廃墟公園のコワい噂と、悲鳴を上げる奇妙な薬草の話。
第2話:本当は怖い謎のゲーム『ガフゴーラ』と、懐かしのゲーム機“ストレンジコンピュータ”の話。
あちこち旅をしてまわっても、 自分から逃げることはできない。
- アーネスト・ヘミングウェイ -
セーブ機能
トオルが風呂からあがって寝間着に着替え、脱衣所にある洗面台の鏡に映る自分の顔を睨みつけながら歯を磨いていると、リビングの方から聞き慣れた電子音楽が流れてきた。その音を耳にしたトオルがハッとした顔をしたので、口の周りに真っ白い歯磨き粉の泡を口髭みたいに携えた鏡の中にいるトオルも同じような表情を浮かべた。トオルはまだすべての歯を磨き終えてはいなかったが、慌ててプラスチック製の透明なコップに水をためて口を濯ぎ、水道の蛇口から激しく流れ出る水と自分の親指を使って歯ブラシの泡を洗い落とした。
トオルが少し小走りになってリビングに滑り込むと、電気が消されて真っ暗なリビングの中でビカビカと光り輝くテレビモニタに向かって床に座るトオルの父の背中が小さく揺れ動いていた。
「ちょっとだけ見ててもいい?」
トオルが父の背後から彼に向かって遠慮がちに上ずった小さな声をかけると、父は半分だけ後ろを振り返るようにして顔を90度横に向け「もちろん。」と言って静かに笑った。その答えを聞いたトオルはピョンと少しだけ飛び跳ねて、父の座っている脇まで座布団を引っ張ってゆき静かに腰を下ろした。
トオルが食い入る様に目を向けた画面には、ドット絵で描かれた樹木が立ち並ぶ俯瞰図的な森の地表が映し出されていて、その中央に父が操っているらしい真っ白い色をした人間らしきものがピコピコと動いていた。トオルが一週間前に見た時には、父の操っているものは確か皮膚の色が肌色で鎧のようなものを身に纏った完全な人間だったが、今は全く違うものに変貌を遂げているようで、さらにはその真っ白い人型の後ろに何か豆粒のような茶色いものが追随して動いていた。
「質問していい?」と、トオルはさらに遠慮がちに父に声を掛けた。
「どうぞ。」
父は今度はトオルの方にはピクリとも顔を向けなかったが、言葉を発した瞬間父の顔が微笑んだのでトオルは少し嬉しかった。
「いまは何してるの?」
「う〜んとねえ、どうやら死んだらしいんだよ、たぶんだけど。だから色が白くなってるんだと思うんだよ、これもたぶんだけど。」
「前は肌色だったし、鎧も着てたね。」
「うん。」
「死んでも終わりじゃないの?」
「どうやら死んでも終わりじゃないようなんだよ。」
「あの後ろの小さい豆みたいなのは何?」
「サケブナス。」
「なにそれ?」
父が手を止めてトオルの方を向き、「解読してみて。」と声を潜めて言ってから、また画面に向き直って指をカチャカチャと動かしはじめた。トオルは目玉をギョロギョロとさせながら声を出さずに「サケブナス」という言葉を何度も唱えながら頭をひねった。
「トオルも今日出会ってたよ。」と父がぼそっとつぶやいた。
トオルは今度は「デアッタ」という言葉を声を出さずに何度も何度も唱えだした。
「あっ、わかったかも。」
「はい、先生どうぞ。」
「ナスでしょ、叫ぶナス。」
父は微笑みながら大きく頷いた。画面に映っている景色は依然としてまったく変化を見せていなかったが、時々サケブナスが意味不明な言葉を発しているらしく、画面の下部に唐突に表示される白枠に黒地の吹き出しに「・・・」とか「クケケ」とかいう文字が浮かび上がっていた。
「サケブナスってなんなの、仲間?」
「いや仲間じゃないんだよ。たぶんアイテムだと思うんだけれど、このサケブナスを手に入れたから死んだらしいんだよ。」
「サケブナスに攻撃されたの?なにか喋ってるよね、敵かなあ。」
「手に入れた時にサケブナスが叫んだから、その声で死んだんだと思うんだよ、たぶん。」
その時、画面の森の中を歩く父のキャラクターとサケブナスの前方の地表にポッカリと空いた真っ黒い穴のようなものが姿を現した。父が「さて、きょうはここまでにするか。」と言って、白いキャラクターをその穴に重ね合わせると、画面中央に今度は白枠のない真っ黒なウインドが立ち上がり、カタカナを羅列した文章のようなものが表示された。
「それは何?」
「これはね、ゴラアナ。ゲームを終わらせる時のセーブ機能みたいなものでね、時々地面にこの穴がぽっかり空いていて、入ると秘密の言葉をおしえてくれるんだよ。この言葉をメモに書き残しておくと、この続きからゲームがはじめられるというわけ。ただねえ、これがなかなか出てこないし、固定の場所にもないし、見えてても突然消えたりするから、なかなかやめられなくなる時もある。だから今日はゴラアナがある内にやめましょう。」
「セーブ機能はないんだ、書かなきゃいけないなんて大変だね。」
「そういうところが、ゲームってものの醍醐味だろ。」
「そっかあ、そうだね。」
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