あの日から続くもの。
今から二年と数ヶ月前のある日、ぼくは湖のほとりで、その初老の紳士とはじめて言葉をかわした。
紳士という表現は、あまり当てはまらないかもしれない。その出で立ちはとてもポップで、髪の毛はたくさんの白に適度に黒が混じった短髪、色彩豊かだが上品な色合いを組み合わせたTシャツと短パン、軽快なサンダル、赤いフレームで洒落たフォームの眼鏡、左手に小さなクリーム色の手提げを持ち、右手にもつ紐の先に、見たことのない小柄な洋犬を連れていた。
ぼくの体感として、総合的には紳士と呼びたい。それはもちろんその立ち振舞も含めてのことだ。ただ、その風貌は、いわゆる紳士風ではない。どこぞのテイラーで仕立てたオーダーメイドのスーツを着て、ハットを冠って傘を持って、脇に巨大な漆黒の凛々しい猟犬を連れて散歩をしている人物ではないからだ。
例えるなら、ロンドンと言うよりは、ブルックリンの下町を闊歩していそうな人物だ、単なるぼくのイメージに過ぎないが。
「おはようっ!」
「あ・・・、おはようございます。」
「ああ、おはよう、いつも、ここを歩いてるなあ、どこまでいっとる?」
「はいっ・・・、職場へ、仕事場です。」
「ああっ、そうか、どこまでだ?」
「はい・・・、えっと、あの人魚の像の、もっと先ですよ。」
「ほう、えっ、どこから歩いているんだ。」
「城のもっと奥からです。」
ぼくはそう言って少し笑う。
「城の奥かっ! あははっ、そうかそうかっ、そりゃあ、ずいぶんな距離だっ!わしもな、毎朝ずいぶんな距離を歩いてるがな、それよりしんどいなっ!この時期なんかはもう、すぐに帰りたがるんだっ、いやだってさ、こんな早朝でも、もう暑いからさっ、すぐ帰りたがる、はははははっ、」
彼はそう言って豪快に笑った。
「このこは、ぼくはあんまり見たことないけれど、何ていう種類ですか?」
「そうだろ、この辺りじゃ、あまり見ないかもしれないな。」
「はい、たぶん、ぼくは、はじめて見ました。」
「グリフォンだ。」
「グリフォンっ!」
「うん、そうそう、ブリュッセル・グリフォンっていう、あんた知っとるかね?」
「いや、知りません、グリフォンは少し知ってますよ、でも、グリフォンかあ、伝説の生き物の名前なんだ・・・、ちょっとかっこいいなあ。」
「そうだなあ、わしはよく知らんけど、娘のだ。でも東京に出てしまうから、もう世話ができないってな。だから、それから毎日二人で散歩だわっ!」