ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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レミントンM870日記

同じ道を同じ時間帯に毎日毎日歩いていると、必ず目にする人々がいる。

もちろん、向こうからしても、目にされている自分がいるわけだが。

 

数えてみるとたぶん、コアな数は二十人くらい、いるんじゃないのかな。

 

田舎は基本的に徒歩で移動している人が極端に少ないからさ、そういう事柄が余計に、そして顕著に、なんて言えばいいのか、「気になる」のである。

 

毎日すれ違うけれど、時々目があうけれど、挨拶はしない。

 

でもね、山奥すぎる場所に暮らしていた頃は、もう会う人会う人に、まったくの見知らぬ人にも無闇に挨拶しちゃってたので、そういうことまったく気にならなかった。

 

いや、挨拶することによって、恐怖を軽減していたんだと思う。

 

こっちが挨拶をして、ちゃんと挨拶を返してくる人は、「たぶんまあ大丈夫」という、リトマス試験紙のようなものだ。

 

その山奥に暮らしている頃は、ほぼワンハンドレッド・パーセント、みんな挨拶を返してくれていた。けれど、今住んでいる中途半端な地方都市では、挨拶をしても、挨拶が返ってこないで怪訝な顔をされる率が、だいたいナインティー・パーセントなんだよ。

 

だから怖いから、誰にでも挨拶することを、最近やめちゃった。

 

なんだかその矛盾点が怖い。挨拶の有無を恐怖判断の基準にしていたけれど、基本それが成り立たないのなら、つまりほとんど挨拶が返ってこないってことは、異常な地域なんじゃないのかって疑いだして、挨拶することが怖くなった。

 

東京の都心部に暮らしていた頃は、たぶん毎日見ている人は山ほどいるんだけれど、数が多すぎてもう把握しきれないから、とんでもなく興味がある人以外は、気にしないんだよ。挨拶だって、いちいちしていたらキリがないから、そんなこともちろんしていなかった。

 

そういう概念が、限界集落みたいな場所で暮らしてみて、大いにぶっ壊れた。いい意味でぶっ壊れた。

 

でも今の場所はなんだかちょっと違う、中途半端な地方都市で、道を歩いている人なんて、くり返し言うけれど、ほとんどいない。でも挨拶をしても、無視されることが多い。

 

それって、ホラーだと思うなあ。

 

そんな日々の中で、ある日ぼくに話しかけてきた中年の、いや初老かな、男性がいる。

 

「毎日、どこまで歩いてんの?」

 

いつも早朝にブリュッセルグリフォンを連れて散歩をしている、おしゃれなメガネをかけたその男性と挨拶をして少しばかりの言葉をかわし、ブリュッセルグリフォンと少しだけ触れ合うことが、、もう一年半ほど、ほぼ毎日、続いている。

 

話す内容はほぼ天気の話と、犬が暑いとか寒いとかっていう彼の代弁の話。

 

お互いにシャイなので、なかなか踏み入った話が苦手なんだってことも、たぶんお互いに密かに知っている。

 

犬の名前は魚の固有名詞。だからぼくは彼の写真を撮る度に、「My dear fish」というコメント付きでinstagramにその写真をアップロードする。

 

ぼくのここしばらくの日々は、二人の野良猫と、一人の魚みたいな犬と、その主人のオシャレメガネのちょっとだけやさぐれた紳士との、そんな人々とのなにか不可思議な繋がりで成り立っていると言っても過言ではない。

 

そして、そんな繋がりの関係性は、みんな気まぐれでみんな自分勝手。もちろん、ぼくも気まぐれで自分勝手。彼らとの繋がりにどんな意味があるのかも、よくはわからないし、あまりそれを理解しようとは、今は思わない。

 

死にかけのセミが網戸に何度も何度もぶち当たっては地面に落ち、また羽を震わせぶち当たっては地面に落ちを、さっきからずっと繰り返している。しかし、それを助けに行くことはぼくはしない。

 

いったいなぜしないんだろうかってことを、考えながら、そろそろ本日の日記を終える。

 

部屋の外はすでに高濃度の放射能に汚染されてパープルに光り輝くゾンビだらけで、もうこの部屋から逃げ出す術は絶たれた。あとはここで飢えて死ぬか、自ら猟銃で頭を撃ち抜くか、その他になにか選択肢が残っているのだろうか。

 

さて、毒と血を混ぜたワインを飲みながら、奇跡を歌おう。

 

ラララ〜♪