邪悪な影から逃げていると、銀の宝玉を持った仙人が助けてくれた日記。
偽物の黒い影がいっぱい近寄ってくる。
経験豊富で百戦錬磨なぼくでも、時々だまされちゃうこともある。
でもね、偽物はすぐにわかる。触れてみたら、嗅いでみたら、目を凝らしてみてみたら、すぐにわかる。そういう影とは、付き合わないことにしている。
あるいは誰かはこう言うかもしれない。
偽物は偽物として割り切って付き合って、うまく生きてゆければそれはそれでいいじゃないかって。でも、そういうのはぼくはキライなのだなあ。自分が自分へつく嘘を嘘だとわかっていて、その嘘を自分の中で分解して中和できるほど、有り余る無駄な時間もないし、そして蓄積された自分への嘘も、ごく微量にしか体内には持ち合わせてはいないのだなあ。
そういうこと。
時々いろんなことがわからなくなる。世の中の無駄な情報が多すぎるから。ぼくはあえて情報を遮断しているつもりだけれど、まあ、あえてというか自然にかな、それでも隙間から食い込んでくる情報が多すぎる。
でも大丈夫。はい、でも大丈夫。
そんなことにはあまり興味がないから、自分は自分。そこはたぶん死ぬまで譲らない。知らないことは知らないんだからさ。知った風なことを言うのはもうやめることにした。もし何かが知りたければ、たとえ危険を冒してでも、自らがその何かの本質まで見にゆく。見にいって自分で知る。多くの人がそうあるべきだ。
誰かの言葉ではなく、自らの言葉を探しにゆくべきだ。自分が知らない言葉を、誰かから聞いた嘘か真かもわからない言葉を、多くの人々にまき散らしたって、何の意味もないのさ。そこには何もないのさ。ほんとうに何もない。虚無だ。そして虚無は、いろんなものを吸い尽くして、世界を破滅させる。
長い長いメールを書いて、なんだか悲しくなって、でも負けねえって思って、いろんなものを振り払う為に、ジョギングにゆく。
汗だくのバテバテで走っていると、前方から農具を積み込んだ猫車を押しながら、小さなおじいちゃんが歩いてくる。
「こんにちは。」と挨拶をすると、「おお、がんばれ、がんばれ!」と話しかけられる。
「わしは全国大会に何度も出て、こんなおっきな銀メダル持っとる、だからあんたもがんばれ、がんばれ!」下腹のあたりに両手でメダルの形を作りながら、そう励ましてくれる。「どこからだ?」と聞かれたので、〇〇ですと言うと、「わしは〇〇だ!歩いてきとる。もう八十八だ、まだまだだ!」といいながら、大きな口をあけて、わははわははと楽しそうに笑った。
家の場所を教えてもらったけれど、その場所からここまでは歩いたらだいぶある。歩きなれているぼくならそれほどの距離でもないが、八十八歳のおじいちゃんが、重い猫車を押して歩くにはなかなかの距離だ。「こんど〇〇にも連れて行ってくれ!がんばれ、がんばれ!」と言って、おじいちゃんはまた歩き出した。「はい、またお会いしましょう。」と言って、ぼくも走り出した。
折り返し地点をまわっての帰り道、おじいちゃんは、川縁の雑草と格闘していた。ぼくはよく見ず知らずの人に励まされる。いろんなものがたまっちゃって、もうだめだよってくじけそうな時に限って、見ず知らずの人が「おいおい、負けるな。」って言ってくれる。そういうことに、なんど助けられたことだろう。不思議なことだ。
家に着くと待っていたかのように大雨が降り出した。おじいちゃん、びしょ濡れじゃないだろうか。でもたぶん、笑いながら歩いているだろう。
ぼくもがんばります、おやすみなさい。
月白貉