無意識の殺意と、アンダーポイズン日記。
ぼくが部屋の外に放った、花束から現れたイモムシは、玄関の近くで誰かに踏み潰されて、体内の臓器みたいなものをぶちまけて死んでいた。数日前の出来事だ。
いまでもその死体が、そこにある。
なかなか大きな罪悪感があった、もっと別な場所に放つべきだったと。そしてその死体を片付けることが躊躇われた。理由はわからないけれど、それはたぶん罪悪感が大き過ぎたからじゃないのだろうか。
きみは、一日にどのくらい、何かを殺すだろう。
ぼくはきょう、自分が認識しているだけで、小さな虫みたいなものを二匹殺した。指で捻り潰した。
自分に明らかに害をなすものを殺すことにはあまり躊躇はないし、後悔もない。まあそれが、大きな生物、例えば人間とかじゃなければね。
虫とかさ。
ぼくの血を吸って、さらに毒を盛る昆虫がウヨウヨいる。血を吸うだけならいい、多少の血なんて毎日流しているから、そんなものくれてやる。でも、それだけなら許せるが、なぜ血を奪いながらさらに、体に毒を盛るのか。
その毒で死ぬことだってあるのさ。
今日殺した虫みたいなものは、脅威じゃなかった。血も吸わないし、毒も盛らない。ただ少し不快だっただけだ。それでも殺してしまった。
命がどうとか、様々なところで、人間の目線でああだこうだ言われている。人間の目線だけでね。
例えば、誰かと一緒に暮らしている犬をぼくが殺しても、それは器物破損だと聞いたことがある。
犬は、命だろ。
犬が血を吸わなくても、毒も持っていなくても、誰かはその犬を殺すかも知れない。理由は不快だから、かもしれない。
狂っているのは、ぼくたちなんだ。
周囲の自然の脅威が、もっと顕著にならない限り、ぼくたちはそのことを軽んじるのだろう。
ああ、だからある種の虫たちは毒を盛るのか。血を吸うだけじゃ、ぼくらはわからないからだ。
雑な日記になったかな、ジャンクな日記にもならなかったかな。
きょうは疲れ果てた。疲れ果てた時に、例えばこんな日記を書く。
明日はもっとまともな日であればいい。
まあ、おおよそまともな日々なんて、生きているうちには訪れない。
まともな日々とは、血を吸われてもいいが、毒は盛られない日々だ。
血なんて、好きなだけくれてやる。吸いたければ大いに吸えばいい。
だたもしその傷口から毒を盛るなら、ぼくはきみを殺す。
それを知っておきたまえ。