アルジャーノンに花束を、たぶんそんな日記。
花束をもらう機会があって。
でもぼくは花束なんてもらうのが嫌いでさ。
いや本当に、真剣な意味があって手渡される花束ならもちろん、嫌ではないのだけれど、いわゆる形式的に花束でも渡しておけばいいだろうっていう、そういう花束が大嫌いで。
そんなものいらねえよ、と常々思っている。
だから、そういう類の花束をもらうことが想定される直前に、先に断ろうと思ったのだ。けれど、もらう前から花束を断るという行為に少し躊躇してしまった。もしかしたら、花束はぼくの手元に来ないかも知れないのに、「花束はいりませんから。」って言うことが、なんだか傲慢みたいでさ。
でもやはり断ればよかったと、すごく後悔している。
結局、適当な花束を手渡されて、ありがとうと言って、笑うしかなかった。
真剣な思いを込めて渡された花束はまったく枯れないのに、いいかげんな贈り物の花束はすぐに枯れちゃうんだよ、知ってる?
もらった花束、枯れちゃうのが嫌だからすいぶん丁寧に手を尽くしたけれど、一週間も経たずに枯れ果てちゃった。
それから花瓶に入れて枯れ果てたまま、部屋にしばらく置いてあった花束の下に、今日さ、見たことのない芋虫みたいなものがいた。
たぶんだけれど、花束の中にいたのだと思う。
枯れた花束を目にした一時間前まで、そんな虫はそこにはいなかった。
でもその虫は突然そこにいて、息を吹きかけても触ってもまったく動かなかったから、もう死んでいるんだと思った。枯れ果てた花束からついさっき出てきたことは明らかだけれど、そこで死んでしまったのだと思った。
虫と枯れ果てた花束の写真を撮った。
それから数時間が経った。
ふと枯れ果てた花束の下を見たら、虫がさっきとは違う方向を向いている気がした。
気のせいだと思った。そういう思い違いはありがちだもの。
それからしばらくして、また虫を見に行った。
また微妙に違う方向を向いている。
最初に撮っておいた写真を見た。
明らかに動いている。
じゃあ、生きてるんだ。わからないけれど、最初に見てから、六時間経っている。頭の方向が左右に少し動いているだけだけれど、死んでいたら動かないでしょ!
どうすればいいんだろうと、なかなか悩んだ。まあ、どうするもこうするもないけれど。
放って置いて明日の朝にそこからいなくなってたら、それはそれでちょっと怖いけれど、その虫を例えばティッシュで押しつぶして捨てることが、まったくもって出来ない自分がいて、すこし混乱する。
すごい勢いで動きまわっていたら、あっさり殺していたかも知れない。
そういう感覚って、いったいなんなのだろう。
きょうは、もうその虫には触れない。明日の朝いなくなっていても、ぼくの中でずいぶん納得できたことなので、たぶんあまり怖くないと思うから。
何時間もかけて頭部を少しだけ動かせるくらいの彼が、もし明日の朝、枯れ果てた花束の下からいなくなっていたのなら、それは驚くべきことだ。
と、ここでもう一度虫を見に行ったら、完全にモリモリ動き出していて、ギャフンと言ってしまった。
見た目完全に死んでたやん・・・、眠ってたのかなあ・・・、虫ってすごいなあ。
モリモリ動き出したから、丁重に部屋の外に出しました。
殺してはいないけれどね。