ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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あんドーナツ、緑のドーナッツ百足日記。

早朝に起きて、まだ暗いうちに湖の畔を走ろうと思ったけれど、なんだか嫌な夢にうなされて、ベッドから起き上がったのはもう日がずいぶんのぼった後だった。

 

この頃やけに、嫌な夢を見る。その苛立ちが、不安や悲しみが、真昼に溶け込むくらいの、本当に濃い色をした嫌な夢だ。

 

 

 

二年前、たぶん今からちょうど二年くらいの前の数週間の間、ぼくは毎朝、四時とか五時には目を覚まし、とある場所まで走った。

 

そこは湖の畔の森のなかで、奇妙な巨石が立ち並ぶ場所だった。それはイギリス南部にあるストーンヘンジみたいで、だからぼくはその場所をそのままストーンヘンジと呼んでいた。

 

ある日、ぼくはそこでひとりの少女に出会い、彼女に恋をした。だからその日から毎日、彼女に会うために、彼女に会うためだけにその場所に向かった。

 

約束をしているわけではなかったから、その場所に彼女がいるときもあれば、いないときもあった。

 

 

 

 

 

日がのぼって、真昼の前の時間に、ぼくはその場所に向けて走りに出た。

 

もう彼女は、そこにはいない、たぶんずっと、いないだろう。

 

あの日から始めた無駄な筋肉トレーニングで、この頃、走り出すと体が重く感じられる。筋肉量が増えたのか、あるいはただ自分の不摂生のために体が重くなっただけなのかは、数値に依存しない、いい加減なトレーニングを重ねる今のぼくの生活からは、よくわからない。

 

ストーンヘンジに差し掛かる度に、あの夏の日の一瞬が、まるで魔法みたいに蘇る。いや、魔法じゃない、魔術みたいに、ありありとそこに揺らめきながら立ちはだかる。時々そのことで、心臓に柔らかいパンチを食らったみたいに息が詰まるけれど、でも日々なんて、いつだってそんなものだろう。

 

 

 

 

気温はそれほど高くない、そんな世界を、ぼくは黙々と走り、それなりに汗を流し、走り出した場所に戻ってくる。

 

ほとんど話したことのない隣人にたまたま出会い、「あっ、おつかれさま」と声をかけられて、「ああ、こんにちは・・・」とかすれた声で返事をする。

 

汗でびしょ濡れのよく知らぬ隣人に、彼女はその瞬間、どんな思いを抱くのだろうか。ただぼくは彼女の纏う雰囲気は好きで、だからどんなシチュエーションでも、彼女にはまともな挨拶をと、思っている。かすれた声の「こんにちは・・・」は、その瞬間のぼくの精一杯だった。

 

 

昨日作ったグリーンカレーと、ナンプラーをふんだんに使った豚の炒め物で夕飯を作り、いつものようにアホみたいにジャンクなワインを飲みはじめる。レタスとキュウリを使ったサラダのドレッシングはヨーグルトとバジルをベースに。

 

きょう、青カビのチーズがスーパーで半額になっていて、買ってしまった。だから明日は、半額で買ったそのチーズと、一週間前に半額で買った生ハムと、近所にある、ヨーロッパの街角にあるみたいなストイックなパン屋で買ってきたパンと、あとはトマトベースのペンネでも作って、少しまともなワインを飲みたい。

 

日々の事柄を詳細に書き綴るのは、思いの外、難しい。

 

長くかけば書くほど、いろいろな嘘が混じってくる。

 

この日記にも少しだけ嘘が混じっているが、ぼくの日記を長く読んでいるクレイジーな方々は、ぼくの日記に含まれる虚構と現実が、ぼんやりとわかるに違いない。

 

大方、現実である。

 

112%くらいは現実で、後の少しは虚構。

 

ふと天井を見上げると、巨大な緑のムカデが、えっ、体が緑やんっ!!!

 

もう眠ろうとおもったが、戦いはこれからか、コンチクショウ・・・。