ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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第4話「耳鳴り」- 昨日の神話

ちょうど一ヶ月前の午後四時頃だったと記憶している。居間の畳に寝転んで浅い眠りに落ちていた私の耳の中に何かが入り込んだようだった。あの時、夢と現を行き来している私の右耳の奥に羽音のようなものが響き渡り、その後すぐに僅かな痛みが生じた。その音と痛みに飛び起きた私は、反射的に右手の人差し指を耳の穴に突っ込んだが、指先が届くような浅い場所には、その何かの感触は捉えられなかった。私はすぐに寝室の棚から耳かきを持ってきて、指では届かない耳の奥底を探ろうとしたが、耳かきの湾曲した先端が耳の穴の入口に触れるか触れないかという瞬間に何か急に陰鬱な不安に襲われ、耳かきをその先に差し込むのはやめて元の引き出しに戻してから、何かが入った右耳とは反対の左耳に携帯電話を押しあてて買い物中の妻に電話を掛けた。

 

「ああ、もしもし私だけれど、今ねえ、畳の上でウトウトしていたら耳の中に虫か何かが入ってしまったようなんだよ、どうしたらいいだろうか?」

 

「えっ、あなた今一体どこにいるんですか?」

 

「いや家にいるよ、家でちょっとウトウトしていたんだよ。」

 

「家って、どこの家ですか?」

 

「どこの家って、家といったらお前と住んでいる家だよ。」

 

「あたしだって今家にいますよ、あなたさっきちょっと出かけてくるからって言って家を出ていったじゃありませんか、一体今どこにいるんですか?」

 

そこで唐突に電話は切れてしまった。再び妻に電話を掛けようとすると、携帯電話の充電がなくなったのだということに気が付いた。そして充電器を取りに行こうとして部屋を見回すと、自分が今一体どこにいるのかがさっぱりわからなかった。

 

私はその時真っ白い部屋の中にいた。あまりにも真っ白い部屋なので何もない空間が果てしなく続いているようにも見えたが、確かに四面と床と天井がある真四角な真っ白い部屋だった。

 

そして再び耳の奥底で羽音が響き、僅かな痛みが生じた。

 

私の腕時計によれば、あれからちょうど一ヶ月経ったようだけれど、今でも私は自分が今一体どこにいるのかわからないし、耳の奥底に入り込んだ何かも出てきた様子はなく、いまだに日に一回は必ず、耳のずっと奥の方でジージーという羽音が響き、同時に僅かな痛みが生じる。

 

真っ白い部屋には窓も扉もなく、私はこの一ヶ月の間、只々右耳の穴の中に入り込んだ何かの不安に苛まれながら、立って歩きまわったり寝転んだり、時には真っ白い壁や床を叩いたり引っ掻いたりして、疲れたら床に突っ伏して眠るというような日々を送っている。

 

一体いつになったら、私の耳に入った何かは、外に出てゆくのだろうか。

 

 

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