豆苗は何日目に蘇るのか? - 第一日目『希望』 -
昨日、食材の買い出しのため近所のスーパーマーケットをうろうろしていると、野菜売り場の片隅に半額のシールが貼られた「豆苗」が一袋置かれていた。
他の豆苗はすべて新品らしく、その一袋だけが取り残され、半額のレッテルを貼られてしまっていた。
半額グループの野菜の中には、見た目で明らかに死にかけのものが多い中、その豆苗は他の新品の豆苗たちと何ら変わらない姿をしていたので、もちろん半額というお得さもあって、購入を決意した。俗にいう半額に目がくらんだわけである。
元の値段が100円であったから半額で50円、消費税込みで54円、お得な買い物である。
ここで豆苗とはなんぞやということに少しだけ触れておこう。
豆苗とはもともとは中華料理の高級食材であり、エンドウの若菜である。
昨今のスーパーマーケットなどでは主に豆から発芽させた若い状態のエンドウを根ごと袋詰して売られていることが多い。今回買ってきたのもこのタイプのものである。ちなみにぼく自身は、あまり豆苗というものを食べたことがない。購入するのは人生の中でこれが二回目である。
そのためどうやって食べるのかもよく知らないままに、大きなカイワレのような容姿であるから、サラダなどに適しているだろうと思い、前回購入した際も、そして昨晩も、生のまま適当な大きさに切って、オリーブオイルとレモンと塩コショウと粉末のパルメザンチーズをかけてもりもりと食した。
しかし、この文章を書くためにいろいろと豆苗のことを調べてみると、「加熱用に使われる野菜」だと記されている。さらには、なぜ加熱用かという理由として、このエンドウをはじめとする豆類の多くは茎、葉、莢、種子のいずれにも「レクチン」という毒を含んでおり、そのレクチンは加熱によって速やかに分解されるので、加熱すべき野菜だとあり、基本的には生食すべきではないとも記されている。
なに!
レクチンという毒について軽く調べてみたが、なにやら小難しい言葉で説明されており、早々に理解することを諦めたが、今のところ特に体におかしな症状は自覚としては現れていないので、まあその程度の毒であろう。この豆苗の毒情報を知り得た次回からは、加熱して食することとする。
かんたん! きれい! 失敗しらず! 育てて楽しむ手のひら園芸
- 作者: 榛原昭矢
- 出版社/メーカー: 山と渓谷社
- 発売日: 2014/06/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (2件) を見る
さて昨夜、買ってきた豆苗をサラダにするべく根の少し上から包丁を入れてザクリと切り離したわけであるが、豆苗をパックしていたビニールの包装の裏に目をやると、「豆苗は蘇る」という謎めいた言葉が記されている。
よく街角で見かける「キリストは蘇る」的な、なんとも神秘的な啓示であり、その眩い光にぼくは圧倒された。
豆苗が毒野菜だったことにも驚かされたが、豆苗が蘇ることなどということは正に寝耳に水である。そのため前回の豆苗体験の時には、今回と同じように根の上からざくりと切り落とした後、その根の塊はすぐに捨ててしまっていたのだ。
おお神よ、ぼくはなんということをしてしまったのか!と言って床にひざまずき、涙を流しさえした。
そのビニール包装の裏の言葉を読み続けると、それは旧約聖書の預言にも似た以下の様なものだった。
「若菜を切り落とした根の部分を清らかな水にあそばせておけば、豆苗は再び蘇るであろう」
なんということだ、まさにそれは奇跡ではないだろうか!
というわけで、一生に一度のその奇跡をこの目に焼き付けるために、予言に従うことにしてみたので、きょうからその一部始終をここに記すこととする。もしその奇跡を目にすることなくぼくが死ぬようなことがあれば、誰かがその後を引き継いで欲しいと、今はそう願うばかりである。
第一日目、豆苗はまだ蘇らない。しかしながら、その無残に切断された無数の緑色の茎の断面からは、光り輝く涙のようなものが滴り落ちてきている。あるいはこれは奇跡の始まりではないのか。加えて言うならば、その緑色が鮮やかさを増してはいないか。それはぼくのはやる気持ちがもたらす、幻影なのだろうか。そんな淡い希望を胸に抱きながら、きょうの一日がいま幕を開けたのである。
2016年05月10日 月白貉 記
月白貉