ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

follow us in feedly

豆苗は何日目に蘇るのか? - 第五日目『光明』 -

蘇った豆苗を食べるべきか否か。

 

この時点でそんな思いが頭をよぎった。

 

このまま放っておいたほうが、あるいは豆苗にとっては幸せなのではないだろうか、豆苗はそう望んでいるのではないだろうか。昨夜遅く、豆苗の水を取り替えてから蒲団に潜り込んで、ひとしきりそんなことを考えていた。

 

このまま食べることなく、若菜を再び切り裂き摘み取ることなく、豆苗の思うがままに解き放ってしまえば、もしかしたらその若菜は、天井にも達し、さらには天井を突き破り、本当の天を目指すのではないだろうか。そしていずれ若菜ではなくなり、年を取り始め、いつしか年老いて、自然と死が訪れるのではないだろうか。

 

もしかしたら、その先にあるものこそ、ほんとうの蘇りなのではないだろうか。そんなことを考えていたぼくは、いつのまにか深い眠りに落ち、気が付くと五日目の朝を迎えていた。

 

第五日目、ついに奇跡が起こり始めた。豆苗は蘇りつつある。天を目指す薄緑色の使徒たちを先導する若菜は依然として先をゆく。おそらくはどこまでも、未来永劫、あの若菜だけが先をゆく存在となるだろう。しかし油断してはいけない。一歩先、一秒先、ほんの刹那の先には、どんな暴虐が隠れているとも限らないのだから。 先を急いではいけない。先を急がずとも、光明はこちらに歩み寄るだろう。復活の時は近い。

 

豆苗は何日目に蘇るのか? - 第五日目『光明』 -

 

2016年5月14日 月白貉 記

 

お題「マイブーム」

 

 

 

 

 

月白貉