ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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豆苗は何日目に蘇るのか? - 第六日目『夢幻』 -

「よみがえる」という言葉は、黄泉から再び戻ってくる、帰ってくるという意味を表す。

 

一説によれば、黄泉の語源は「闇」だという。

 

つまりよみがえるとは、闇の中から光を求て帰ってくると捉えることも出来る。

 

この数日間、豆苗の姿を観察していて思ったことは正にそれで、豆苗はただひたすらに光を求めていた。

 

そんな姿を見ていたぼくは、やはり再び蘇った豆苗を食べることを躊躇してしまう。

 

人間なんて、所詮は愚かなものだ。

 

第六日目、豆苗は、もはや蘇っている。光に揺らめく緑色の壁が、眩しく眼前を覆い尽くす。しかしさらに、より多くの光を求めて、天の上へ上へと手を伸ばし、その速度を増してゆく。その先にあるものは果たして何なのだろうか。蘇りの先にあるものは、本当の光なのか、あるいは光のように美しく妖艶に輝く、夢幻なのか。彼らはその本当の答えを知っているのだろうか、あるいは何も知り得ないのだろうか。しかし、こうなってしまっては、その先にあるものが如何なるものであろうとも、後戻りはできない。いずれにせよ、豆苗は蘇ったのだ。

 

豆苗は六日目に蘇ったと、人々はそう口々に言い、そう記憶に残すだろう。

 

豆苗は何日目に蘇るのか? - 第六日目『夢幻』 -

 

2016年5月14日 月白貉 記

 

お題「マイブーム」

 

 

 

 

 

月白貉