ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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2016-05-15から1日間の記事一覧

豆苗は何日目に蘇るのか? - 第六日目『夢幻』 -

「よみがえる」という言葉は、黄泉から再び戻ってくる、帰ってくるという意味を表す。 一説によれば、黄泉の語源は「闇」だという。 つまりよみがえるとは、闇の中から光を求て帰ってくると捉えることも出来る。 この数日間、豆苗の姿を観察していて思ったこ…

池袋ロマンティシズム

20代のある時期、ぼくは毎日毎日、本当に同じことを繰り返して生活していた。 朝七時からプールで二キロ泳ぎ、その後洋画のDVDを売る店でアルバイトとして働き、 仕事が終わると家に帰ってビールとワインを飲み、腹が膨れると映画を一本観て眠りについた。 …