ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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眠れる闇の雨音と、暗い水辺のマーメイド日記。

今朝起きたのは午前九時十四分だった。

 

ほんとうはもっとずっと早くに目が覚めていた。六時前からずっと目覚めていたのだけれど、起き上がるキッカケを失ったままずっとベッドの上でまどろんでいた。

 

そのまどろみの中で、たくさんの奇妙な夢を見た。

 

世界では雨が降っていた。

 

現実でも、あるいはレア(半生)な夢の中でも、ずっと雨の音が聞こえていた。

 

起き上がるずっと前から、目覚めた時からずっと雨が降っていて、それがベッドから起き上がることを躊躇っていた理由でもある。だからまどろんでいる最中もずっと、雨の音ばかりがぼくの中に響いていた。

 

ここしばらく、朝起きてからすぐに走りにゆくことを、自分の中でのルールにしていた。走る前に軽い筋肉トレーニングをこなし、およそ十キロほど走って、大方その日のトレーニングを終える。なにごとも、しんどいことは、はやめに終わらせてしまいたい質なのだ。夕食の前に朝と同じ筋肉トレーニングをすることもあるが、しない日もある。

 

レーニングか・・・、一体何のために?

 

雨の日は走れない。いや、走れるのだけれど、びしょ濡れになる。

 

雨の中を走るのは、心地よいのだけれど、この時期、びしょ濡れになった服や靴の後処理が厄介で、少しだけ厄介で、雨の中を走ろうかどうしようかと迷った挙げ句に、プールに泳ぎに行くことにする。

 

とあるスポーツクラブのビジター制度を利用して、少し高い値段で、いやなかなか高い値段で、久しぶりにプールで泳いだ。

 

泳ぐのは二年ぶりだと思う。

 

距離にすると1.5キロ、走る距離で1.5キロなんてすぐだけれど、走るのとは違い、ずいぶん短い距離だけれど、1.5キロを泳ぐのってなかなかしんどい。

 

東京に住んでいる頃、随分前の話だけれど、スポーツクラブで仕事の前に毎朝2キロ泳いでいた。

 

走ることも泳ぐことも、日課にすると中毒性を帯びる。走らなくては気がすまなくなる、泳がなくては気がすまなくなる、気がすまなくなるだけじゃなくて、中毒だから、もう禁断症状のようなものがおそう。走ることも泳ぐことも、ある程度苦しみを伴うのだけれど、それがたぶんある種の快楽になってくる。「きょうはもう走りたくない」、「きょうはもう泳ぎたくない」って思いつつも、でもそれを求めるようになる。

 

やばいドラッグとか、アルコールだけが害悪なわけじゃなく、日々の走ったり泳いだりする行為にも、そういう側面はある。

 

あるスポーツクラブに通っている頃、毎日同じ時間に泳いでいる金髪の女性がいた。東京のスポーツクラブの早朝のプールは激混みで、しかもとんでもなく手練のスイマーばかりで、泳ぐスピードが半端じゃなかった。

 

最初はかなりのプレッシャーだった。

 

しばらくして、ぼくも、周囲のスピード感のおかげでなかなかにハイスピードで泳げるようになっていたのだが、その中でも凄まじいスピードで泳いでいる女性がいた。彼女は並のレベルではなかった。一時間のうちに何度も何度も、彼女に追いつかれ、レーンを譲らなくてはならなかった。

 

プール内では、彼女はキャップをかぶっているから、金髪なんてことはずっと知らなかったけれど、ある時たまたまスポーツクラブを出てゆく彼女を見かけたことがあった。

 

腰まである金髪で、失礼ながらケバケバしい服装で、異常に高いハイヒールを履いていて、やけにぎこちない歩き方だった。

 

プールでみる彼女の姿はすごく美しかったのに、と、そんなことを覚えている。

 

おっと、日記だった、これは日記だった。

 

プールの帰りに買い物をして家に戻り、無駄な時間を、一体何をしているのかもわからない長い空白を経て、いまはロゼワインを飲んでいる。

 

雨の音は聞こえない。

 

だから雨は、もう降っていないのだろう。

 

明日はきょうよりも、いい加減に過ごそう、もとい、悪い加減に過ごそうかな。

 

コンチクショウ。