ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

follow us in feedly

ノンノン、エルキュール・ポアロの最後日記。

怖い話を書きたいなあって、この一週間くらいずっと考えてるんだけれど、なんだかうまく頭がまわらない。

 

最近なにか怖いことってあったかなあと、改めて頭の中をさまよう。

 

朝起きて、昨夜閉めたと思っていたカーテンが全開だった日があった。

 

その次の日に、朝、雨が降っていたのでカーテンを閉めたまま外出したはずなんだけれど、帰ってきたらカーテンが全開だった。

 

もしかしたら、無意識に、習慣的な行動として、自分で開けているのかもしれない。でもそれだったら毎日のことだから、その日だけ「あれっ?」って思ったことが、ちょっと気がかりで、まあ言うなればちょっと怖かった。

 

そういうこと、時々あるよね。

 

「あれ、さっき机の上においたハサミがなくなってる・・・?」

 

小一時間くらい必死で探しまくっても、机の上に置いたはずのハサミがまったく見つからない。

 

でも、次瞬間、机の上に、机のど真ん中にハサミはポツンと置いてある。

 

いやいやいや、なかったし!!!さっきまで完全になかったし!!!

 

そういうことある。

 

昔から「神隠し」って言われるものって、そういう事柄なんだろう。

 

数年前の話だけれど、知り合いのお父さんが海に漁に出て、いなくなった。船も、お父さんも、見つかっていないと聞いた。

 

死ぬってことと、消え失せるってこととは、例えば自分が知らない場所で起こっている現実があるとしても、それを受け止める側にしたら、ずいぶん違う話だよなあと思う。いや違うとかじゃなく、消えるってことは、根本的に異なった部類の、異なった次元の出来事のように思う。実際に、異次元に足を突っ込んだ出来事なのかもしれない。

 

カーテンは消えていないけれど、全開だった。

 

いっそのこと、カーテンがぜんぶ消えていたら、怖いとも思わなかっただろうに。

 

でも中途半端に、知らないうちに開いているという状態、なんだかそういう中途半端な謎って怖いんだよ、意味不明だし。

 

もう眠い。

 

ニッキカイタカラ、ネムリル、レルラレル。

 

カーテンってさ、必要ない!って気がしている瞬発力な、午前零時。

 

おやすみDeath.