ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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死の壁に覆われた町からの短い手紙

結局のところ日常なんてものは、根源的に言えば同じことの繰り返しでしかない。その永遠に続く過酷な拷問かのような繰り返しを耐え抜くために、人は時々、いや頻繁に夢を見るのかもしれない。

 

ぼくの暮らす町が一見すると目には見えない特殊な壁で覆われてしまってから、いったいどれだけの時が過ぎ去ったのかは今ではもうよくわからない。けれど、ある日そのことを知ったぼくがこの町からなんとか脱出する方法を探して町をくまなく歩き回るようになった日から考えれば少なくとも3年間、ぼくはこの町から一歩も外へは出ていない。

 

そして、3年間町を歩き回ってわかったことは、ほんのわずかでしかなかった。

 

ただそのわずかな収穫の中でも最も大きく明らかなことは、町の周囲を覆う透明な壁に触れると命を落とすということだった。

 

町の境界には、まるでどこかの国の戦場のようにして、焼けただれた死体がうず高く積み上がっていた。そしてその無数の死体が町の境界に沿って腐った盛り土のようなラインを描き出し、壁の存在を暗い予言のようにして示していた。

 

その壁が一体いつ何の目的で町を覆ったのかは一切わからなかったし、それがいつ取り払われるのかもわからなかった。

 

もうひとつ、ぼくが3年間この町を歩き回っている間、町の境界で無言のまま寝転ぶ死体以外には誰ひとりとして住民に出会うことがなかった。つまり高い確率で、今この町にはぼくしかいないという可能性がぼんやりとだが頭に浮かんでいた。

 

あの日からずっと、ぼくは毎日毎日およそ8時間ほど徒歩だけで町中を歩き回った。そして歩いた場所をかなり細かく地図上で塗りつぶしていった。どんなに細かな路地も、先が続いていない行き止まりの道も、雑木林の中を抜ける消えかけた獣道も、そして挙げ句の果てには鍵の閉まっていない民家や建物の中へさえ足を踏み入れた。自分で決めたルールとして、鍵の閉まっている建物への侵入は可能な限り避けた。もちろん鍵の掛かった建物の中にもしかしたら人がいるのではないのかということも考えたが、歩き続けて半年ほど過ぎた時に、その考えは朝靄のようにしてどこかに消え去っていた。

 

ただ唯一例外のルール違反として、生活に最低限必要な物資を調達するために、町のほぼ中央に位置する大型のショッピングモールだけは、最初の一度だけ裏口の窓を壊して侵入を試み、それ以来は勝手に鍵を開け放した通用口から、日常的に不法侵入を続けている。そして侵入するだけには当然留まらず、内部の物品や食料を料金を支払わずに勝手に入手している。さながら昔憧れを抱いた古いゾンビ映画の状況ようだが、少なくともそれは映画のよう楽園的なものでは到底なかった。

 

町を壁が覆った日からずっと、電話回線はまったくの使用不可能になっているが、インターネットの通信網はどうやら生き残っているらしかった。しかし、ブラウザを立ち上げても閲覧するべき場所はほぼすべてダウンしており、何も表示することは出来なかったが、それでもなぜインターネットの通信網が生きているらしいかと言えば、唯一ブラウザ上で表示できるページが存在したからだった。

 

そのページは、おそらく壁の出現後に、勝手にブラウザのブックマークに登録されていたページで、さらには起動時のホームにまでも勝手に登録されていた為、否応なしにぼくはそのページの存在に気付かされた。

 

どうやらそのページはフリーメールの受信ページのようで、ページ上部にはサービス名を表すようにして「UGORIM MAIL」とだけ書かれていた。ぼくはそのUgorimMailというサービスのことは今まで一切知らなかったし、登録した覚えもなかったのだが、おそらくはぼく個人のアカウントがそのサービス内で登録されているらしく、受信箱には「UGORIM へようこそ」という件名のメールが届いており、そこにはアカウント名とパスワード、そして簡単な挨拶のメッセージが書かれていた。

 

UGORIM へようこそ!

UGORIM へのユーザー登録が完了しました。

あなたはUGORIM MAILを使ってメッセージを送ることが出来ます。

あなたはUGORIM MAILを使ってメッセージを受け取ることが出来ます。

誰にでも誰からでも、そして過去でも現在でも未来でも、メッセージはあなたの思うままです。

さあ、誰かにメッセージを送ってみましょう!

 

しかしぼくはそれからずいぶん長い間、時々ブラウザを立ち上げては、その短いメールを読み返していたものの、誰かにメッセージを書くこともなく、誰かからそこにメッセージが送られてくることもなかった。

 

ぼくがはじめてそのページの存在に気が付き、そのメールの内容の読んでから約1年後、それは同時に、この町のおおよその場所を歩きつくし、常軌を逸した孤独感に押しつぶされそうになっていた頃でもあったのだが、壁の出現と同時に姿を消してしまった恋人へ向けてぼくがメッセージを書こうと思い立ちブラウザを立ち上げた際、受信箱にはじめて新しいメッセージが届いていた。そして件名にはこう書かれていた。

 

終焉の町からの手紙

 

ぼくはその件名だけをしばらくぼんやりと、ずいぶん長い時間見つめてから、そのメールは開かずに恋人への手紙を書き始めた。

 

人とは数年間同棲していたが、壁の出現する数週間前から、日々喧嘩が絶えなかった。そしておそらく壁の出現したと思われる当日の朝早く彼女は、「あなたのことがこれからずっと本当に好きでいられのるかどうか、わからなくなった。」と言って、ハグもキスもせずに仕事場に向かった。それから3年間、彼女が家に戻ってくることも、何かしらの連絡が来ることも一切なかった。あの後、なぜぼくはあの時無理矢理にでも彼女を引き止めて、言葉を掛けなかったのかと、今でも激しい後悔の念に駆られている。

 

これからもずっととか、本当にとか、そんなことがわからなくてもいいよ。ぼくだってわからないけれど、でも、きみのことが好きだよ。だから、もし何もかもわからない時があれば、その時にはぼくにどんなに冷たくあたったって構いやしないから、そんなこと我慢するから、だからそれでも、ずっとぼくのそばにいて欲しいんだよ。

 

これからきみに出会うかもしれない誰かより

 

何時間もパソコンの画面に向かい、彼女に今伝えたいことを考えたが、手紙といえるようなものにはならなかった。そのメールに書いた言葉は、あの時彼女が家を飛び出すようにして出て行った数秒後に、ぼくの口からこぼれ落ちたものだった。あの時もし、彼女の耳にこの言葉が届いてさえいたら、今ぼくはこの壁に囲まれた世界でさえも一切孤独でなんかいなかったはずだった。

 

「変えることの出来ない過去を悔やんでも意味はない」とシェイクスピアは言ったそうだが、もしこのメールが過去でも未来でもぼくの思うままに送信できるのなら、ぼくが出会う前の彼女に、このメールを届けて欲しい。

 

ぼくはそう願いながら半ばどうでも良くなって送信ボタンをクリックすると、宛先に何も入力していないメールはどこかに送信されたようだった。ぼくは自分の書いた言葉をもう一度読み返そうと思ったが、その時になってそのメールボックスには送信済みのボックスがないことに気が付いた。

 

ぼくは再び受信箱に新たに送られてきたまだ未開封のメールの件名に目をやり、そしてそのメールを開封した。

 

そのメールには、別のどこかでここと同じように壁に覆われてしまった町のことが書かれていた。映画館も美術館もない町だとそこには書かれていたが、手紙の主以外にも人がまだ暮らしている町で、そこは壁に覆われた今でも、少なからず柔らかな光が差し込む場所のようだった。メールの最後には、返事を望む言葉が書かれていた。いつか返事が届いたら嬉しいと、そう書かれていた。

 

ぼくは翌日、そのメールに返事を書くことにした。ゆっくりと長い時間を掛けて、なるべく丁寧な返事を、しかしなるべく、余計なことは省いた出来るだけ短い返事を、送ることにした。

 

まったく見ず知らずの壁の向こうの誰かが、メールを送ってきた誰かが、本当に存在する誰かなのかどうかさえわからなかったが、それでも今ぼくがするべきことは、その返事を書くことくらいしかなかった。

 

はじめの言葉をなんと書こうか迷った挙句に、今のぼくの正直な気持ちを綴ることにした。

 

名も知れぬ、あなたへ

 

死の壁に覆われた辺境の町で、このメールを受け取りました。

町が壁に覆われてから、思ったことがあります。

結局のところ日常なんてものは、根源的に言えば同じことの繰り返しでしかないと。その永遠に続く過酷な拷問かのような繰り返しを耐え抜くために、ぼくは時々眠りの中で長い夢を見ています。いや、時々ではなく、おそらく以前よりもずっと頻繁に、起きているよりも長い時間のようにも思える夢を、たぶん、毎晩見ているかもしれません。

しかしながら、夢の内容は眠りから起きる度にかき消され、ほとんど覚えてはいません。

今までのぼくは、つまり壁に覆われる前のぼくは、同じことを繰り返す日々をどこか罪悪のように感じて生きていました。なぜならその繰り返しを構成するのは、過ちばかりのように思えたからです。

壁に覆われた今、その気持が変わったと言えば嘘になるでしょう。ぼくの数えた曖昧な年月での壁の中の3年間、一時は繰り返しの邪悪な無意味さを通り越し、そこに光を見いだせたように感じたこともありました。でも今は、正直よくわかりません。

 

もしかするとこの壁は、自分自身が生み出しているものなのかもしれないと、あなたの手紙を読んで感じました。

 

もしそうなのであれば、ぼくのいる町の状況はこの手紙に綴ったぼくの内側とリンクし具現化しているはずです。自分以外の何かに簡単に屈するほど弱くはないつもりですが、この壁が自分なのであれば、この状況は正に自分との戦いなのでしょう。

 

この手紙が一体どこに、そして誰に届くのかはまったくわからないけれど、願わくば何かを待ちわびる誰かの元へ。

 

 

日付なんてもう忘れてしまったけれど、たぶん2021年の冬

手紙を受け取った者より

 

遠くで鳥の鳴き声のような音が響いている。鳥は空を飛べるから、世界に壁なんてないのかもしれない。

 

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月白貉