ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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ちっこす日記。

帰り道、いつもの二人は一緒じゃなくて、ポーと一緒にいたのは、ちっこすな名もなき仔猫だった。ロレンスはいなかった。ロレンスには今日の朝、挨拶をした。そして無視された。その時ポーはいなかった。

 

ちっこすな薄茶色の斑の仔猫は、ポーとロレンスの子供だろうか。もしそうなら、ぼくの思い描いていたこととは違い、ポーかロレンスか、どちらかが女性なのだろう。もしそうなら、たぶんロレンスだろう。

 

いや途中からうすうす感づいてはいた、友だちじゃなく恋人なのだろうと。

 

ロレンスはポーがいないときには、ぼくにずいぶん体を寄せてきた。

 

ポーは、ロレンスがいてもいなくても、大抵は遠目でぼくを見つめていた。

 

ポーには何度も鋭い爪で攻撃され、その度にぼくの手から血が流れた。猫とじゃれ合ってあれほど深い傷をおったことはない。ある時まじまじとポーの爪を見ると、それはゾッとするほど鋭かった。

 

と、もしかしたら、あのちっこすの仔猫は、ポーにもロレンスにもなんの関係もない、誰かの仔猫なのかもしれない。ポーもロレンスも、女性じゃないかもしれない。

 

その仔猫を写真に収めようと、雨の中iPhoneのレンズをむけていると、仔猫は何度も何度もポーの顔を見てはぼくのほうを見つめ、またポーの顔を見ては、ぼくの方を見つめていた。でもポーは、目をロンパらせながら、ぼくのことを見ていた。ちっこすを連れて逃げていくことはなかった。

 

ぼくはその間、たくさん蚊に刺された。

 

蚊が集まりすぎてきて、わ〜ってなって、「蚊めっ!!!」手で振り払ったら、ちっこすがびっくりして後ずさったので、きょうはそれ以上写真は撮らないことにした。結局ブレブレの写真が一枚撮れただけだった。一般的に言うと、ほぼ撮れてなかった。

 

あのちっこす、ポーの子供じゃないのかな?

 

それとも、ぼくが特別扱いだから、にげなくていいと言ったのかな。

 

猫は気まぐれだと言うけれど、たぶん自分に正直で素直なだけだろう。楽しい時には楽しくてちょっと遊びたいが、しんどい時はしんどいから、無視したいのだ。

 

それって大切なことだよなあ。

 

明日、ちっこすはぼくと遊んでくれるだろうか。

 

ちっこすに、名前を付けなきゃ。

 

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いま、桃を食べている。

 

スーパーの見切り品で、高いんだか安いんだかよくわからない、ちょっと傷んでそれなりに甘い桃を食べながら、この日記を書いている。

 

一年半ほぼ誰とも心を通わせず、会話もなく、それなりに孤独すぎて、それなりに苦痛な日々と、ちょっと甘い桃と、ちっこすな猫。

 

日常にくじけるには十分な要素だが、おそらく負けも崩れもしねえ屈強な自分を、永劫に呪うわよ。

 

かしこ。