ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

follow us in feedly

ホルロードの影日記

時々くじける。

 

時々っていう時間軸、時間の感覚か、そういうこと人それぞれだろう。年に一回とか、月に一回とか、週に一回とか、一時間に一回とかさ、でもたぶん、みんな日々の中で、毎日数回はくじけるだろ?

 

ぼくはくじける。日によるが、一日に数回くじけることなんて、そりゃあもう、あるとかないとかいう話じゃない。

 

メリハリの底ってことだよ、日常のよ。

 

どっちがメリでどっちがハリかはよくしらないけれど、要するに『ぐりとぐら』みたいなことでしょ、めりとはりってさ。

 

きょうは疲れてしまって、まともなことが書けねえ・・・、

 

いや、つねにまともなことなんか書いていねえ。

 

日々が少し悲しい。

 

日記だな、日々が悲しいという記録は、いわゆる日記だと思う。

 

ぼくは日記を書いています。

 

さて、しりとりのはじまりは、「にっき」じゃなくて、「ゾンビ」。

 

「び」だよ、「び」!

 

相手がいないので、自分で続けます。

 

ビザンチウム」、

 

ムー大陸」、

 

く、かあ。

 

クトゥルフの呼び声」、

 

もう、え、なんかどうでもいいけど、眠い。

 

いあいあ。