ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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空の青さの、その先の向こう見ず日記。

もう七年くらいテレビを観ていない。

新聞なんて数十年読んでいない。

 

上記のふたつが本当にまともなメディアなら、今からでも観たり読んだりするだろうが、まともじゃないからさ。

 

「なんでテレビを観ないんですかっ!?」って割と聞かれるんだけれど・・・、そういう問いかけ、ちょっと吐き気がする。

 

ある時、何度も何度も、同じようなことを聞かれたから、

 

「テレビなんてさ、誰かの不幸を観たい人たちのために、誰かの不幸を楽しみたい人たちのために、いろんな人々の苦しみや悲しみなんかを寄せ集めてさ、それを勝手に無理やり歪めてさ、虚構の肥溜めにして、臭い臭いって言いながらただただ垂れ流してるだけでしょ、そういうことが大金になるんだろうけれど、そういうもの観ても無駄なストレス溜まるだけだから、観たくないんだよ。」って言ったけれど、あまり、いやまったく理解されなかった。

 

テレビなんか観なくたって、ちゃんと生きていけるよ。

 

観ないほうが、ちゃんと生きていけるよ。

 

まあ観たくても、テレビもねえし、ラジオもねえし、ネットはあるけど、ほぼ海外のホラー映画情報サイトしか見ねーし、まあこの一年半くらいは、ネットも繋がってるだけで、なんも見てねーし。

 

もっぱらの娯楽は、湖に映る空の青さだった。