ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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薄暗いけれど鮮やかな濃夢

十四歳の頃に知り合った、ぼくのただひとりの、おそらくただひとりだと言ってもいい友だちが、自ら命を絶った。

 

都内でも有数のとんでもなく高いビルから、警備員の制止を振り切って飛び降りたと聞いた。六十階のビルだ、生きてかえったなら、酒のつまみには最高の話だろう。けれど、彼はそのまま地面で肉塊となって飛び散り、涙も笑顔も目玉も内蔵も糞も、糞もだ、何もかも飛び散り、あとは、誰にも相手にはされなかった。

 

彼はもちろん、笑っていたに違いない。

 

おまえなら、唇を歪めていたにせよ、笑っていたに違いない。

 

正直に言えば、彼のことは好きでも嫌いでもなかった。だが、友だちではあっただろう。

 

そういうことは、誰にでもある。

 

近くにいる誰かが、果たして誰なのか、そんなことは、わかるはずもない。

 

友だちなのか、友人なのか、血のつながった家族なのか、血のつながっていない家族なのか。

 

恋人か、愛人か、あるいは、そうではない、誰かなのか。

 

彼がその最後の、その極まった直前に、ぼくの携帯端末に短いメッセージを送っていた。

 

そのことで、ぼくはさんざん厄介な尋問をされることになったが、それは、いつかの一杯のとんでもなく高い酒のおごりの分だと、そうしておこうと思うことにした。

 

それはなんてことはない、本当に短い、彼の叫びだった。おまえらになんて到底、一生、わからない、純朴な手紙だった。

 

「おれがあの日、あの日常が怖くて怖くて仕方がなくて、泣き叫んだこと、誰にも言わないでくれよ。おれはおれなりに、戦ったんだ。そしてたぶん勝ったんだよ。でもさ、それはおれにしか、わからないことだった。」

 

紙に書きなぐったような、続きがあった。

 

「おまえには、わかってほしい、ずっとずっと先でもいいから。」

 

 

月白貉