ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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ゴラダームの穴の話

道端で、目の前を歩く見知らぬ老婆が唐突に転んだので、何も考えることなく慌てて咄嗟に駆け寄って手を差し伸べた。

 

「だいじょうぶですか?」

 

「ああ、ああ、ありがとうね、ぜんぜん大丈夫だけん、あんたみたいに若くても、うっかり転ぶでしょう。そのうっかりだから、老いているから転んだわけじゃないんよ。でも、それでもね、こうやってしてくれることは、うれしいんですよ。ありがとう。」

 

彼女は、見たことのないような純粋な笑顔を浮かべてそう言った。

 

「お礼にね、あんたに、予言をするよ。」

 

ぼくはその言葉に戸惑った。

 

「予言?」

 

「そうだよ、予言だよ。あたしは、若い頃から預言者でね。ずっと、そうやって生きてきたんだ。まあ、一般的言えば、体のいい異常者だね、はははははっ。」

 

彼女は、薄曇りの空をあざ笑うように清々しく笑った。

 

「予言は嫌いかい?」

 

彼女の笑顔は、消えることなくそこらじゅうに漂っていた。

 

「えっ、いや、予言って・・・、」

 

「ああ、予言だよ、予言って言葉が難しかったかい?」

 

「いえ、そうじゃなくて、言葉は、知ってますよ。」

 

彼女は笑顔のまま、何度も強くうなずいた。

 

「予言は嫌いかい、もう一度聞くけれどさ。」

 

湖から押し寄せる一陣の風が、二人を揺さぶった。

 

「あの、嫌いも何も・・・、予言って、個人的に予言なんか、されたことないし。占いって・・・、ことですか?」

 

「いやいや、ちがうよ、占いじゃあない、予言だよ。あたしは占いなんてケチなことはやっていないのさ、あたしは預言者だよ、言っただろ。」

 

「はい、すいません、つまりぼくのことを、未来を、予言してくれるってことですよね?」

 

「ああ、もちろんさ、嫌かい?」

 

何をどう答えていいのかわからないぼくは、しばらく彼女の顔をじっと見つめていた。

 

「あんたは、きれいな目をしているねえ。」

 

「そんなこと言われたことないな・・・、目の白い部分はずいぶん濁っていると思いますが。」

 

「はははっ、白ければきれいなのかい?馬鹿言いなよ、白がきれいだって誰が決めたんだい。」

 

「はい・・・、でも・・・、」

 

ぼくの言葉を遮って、彼女は手に持った傘を空に突き刺すように掲げた。

 

「ほお、あんたの未来は、ちと複雑で見えにくい、こういうケースは珍しいねえ。あたしの能力の衰えじゃなければ。」

 

「はあ・・・、」

 

「ひとつ聞くけれど、いいかい?」

 

「はい・・・、」

 

「あんたは、何かしらの宗教を信仰しているかい?いや、仏教やらキリスト教やらを家庭の事情で浅くかじっているってことじゃなく、もっと個人的にさ、最近のおかしな新興宗教に依っていることがあるかってことだけれど、どうだい?」

 

「はあ・・・、いえ・・、ぼくはまったくそういうことには興味はないから、そんなことないですよ。そもそも仏教もキリスト教も、いわゆる信仰なんてものを、持ち合わせていませんから・・・。」

 

彼女は空に突き上げた傘の先をゆっくりと地面に下ろした。

 

「そうかい。じゃあ、もう一つ聞くよ。おっと、その前にだ、立ち話が長くなったけれど、今日はこれからデートの約束なんか、ないだろうね?あたしの無駄話が、その邪魔をしたくないからね。」

 

「ああ・・・、はい、残念ながら、デートの約束はありません。」

 

「そうかい、そりゃあ残念だねえ。」

 

彼女はぼくの言葉を受けて、まったく甘みのないカカオだけのチョコレートのような笑みを改めて浮かべ、なにか周囲を見回すように体を左右に何度か傾かせた。

 

「ゴラダームって、聞いたことあるかい?」

 

ぼくはその言葉を聞いて、両腕の皮膚が泡立つような感覚を覚えた。

 

「ゴラダーム・・・、」

 

「ああ、ゴラダームっておかしな団体が、今この町で動き回っているだろ、知ってるね。」

 

「はい・・・、名前は知っています。」

 

「どんな団体か知ってるかい?」

 

ぼくはその問いに対して、言葉を失っていた。

 

「ああ、わかってるよ、黙ってしまうこともね。見えづらいけれどね、予言の一端を教えようかね。」

 

「あなたっ、あなた誰ですか!?」

 

ぼくは無意識に声を荒げていた。

 

「落ち着きなよ、あたしはね、ただの通りすがりの預言者だ、一応言っておくけれど、ここであんたと会ったのは、ほんとうの偶然だよ。ただしだ、もし偶然なんてものがこの世に存在するならだがね。あんたにここで会うことは知っていた。デートの予定がないことも知っていた。偶然を先に知り得るのも、預言者につきまとういわば呪いのようなものだ。続きが聞きたいかい、予言の続きが、聞きたいかい?」

 

見たことのないような数の鳶が甲高い叫びをあげながら頭上を飛んでゆくのが見えた。

 

「続きって、なんですかっ・・・?」

 

預言者が予言する重要な未来を壊す組織が存在する。あんたのもとを去った恋人は心に闇を抱えていたね、なぜなら特出して未来が見えたからだ。そして彼女は、自殺なんかしてやしない。まだ生きている。」

 

「えっ!?」

 

「そしてもうひとつ、あんたの夢に出てくる場所は存在するのさ。ゴラダームの穴だ。夢と現実はちょっと違っていてね、深い森のなかの岩穴じゃないがね、強力な預言者たちを監禁している施設が現実にこの町にある。」

 

「どういう・・・、どういうことですかっ!?」

 

「あたしは数分前に、あんたの目の前でわざと転んだ。あたしがその未来を作るためにだよ。未来なんて言葉は歯がゆいがね、その先を作ったのさ。細かい話は面倒くさいが、ある存在が作り上げた基本未来がある、デフォルトっていうやつかね。それを変えることが出来る人々がいる。それとは別に、基本未来をみることだけが出来る人々がいる。ややこしい話だ。」

 

湖からの風が再び二人の体を強く揺さぶる。

 

「基本未来・・・?」

 

「あたしは預言者の中でも上位種でね、ははは、変えられるのさ、基本未来が。」

 

 

 

月白貉