ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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グラデーション

「夢で、あなたのことを見るの。まったく知らないどこかの職場で、すっごく古くて壁も真っ黒で、そう、工業油にまみれたような何かの工場なの。周りには女の子もいるんだけれど、誰も知ってる人がいなくて、何だかみんな顔が真っ黒ですごく怖くて。でも、知らない人ばかりの中にあなたがいて、それでね、ちょっとだけ安心するんだけれど、でも、でもね、あなたはわたしにすっごく怒るの。これがいけないとか、あれが間違っているだとかって、すごい剣幕で怒るの。」

 

アヤカはこちらを振り返らずに、床に正座をしたまま網戸で仕切られた窓の外を見つめているようだった。掌が引きつったようにおかしく痙攣している。

 

「そのこも持っていってよ、彼女はおれの手には負えない、きみと居たいはずだよ。」

 

「知らないよ、そんなこと知らない。」

 

「でも、彼女は、きみがあの女のこからもらった大切なぬいぐるみでしょ。名前だって・・・」

 

「知らないよ。」

 

 

 

アヤカがいなくなってから、小さな白いクマのぬいぐるみが笑うことはなくなった。最初からあまり笑うことのなかった白クマだったけれど、時折見せるいたずらな笑みを、もう長い間見ていない。

 

アヤカは彼女にリンゴという名前を付けていた。

 

「真っ白なのに、なんでリンゴなのかな。」

 

時々彼女にそう話しかけるが、その言葉は部屋の重苦しい湿気に押しつぶされるようにして、沈んでゆく。

 

リンゴの隣にはいつも、真っ黒い猫のぬぐるみが置かれている。彼女はモモという名前で、もうかれこれ、ぼくと十数年一緒にいる、ぬいぐるみだ。ある時期にずっとずっと長い時間窓辺に座っていたので、真っ黒な背中が、日に焼けすぎて反対に白くなってしまった。

 

モモは一切言葉を発しない。ぼくにも、たぶん誰にも。

 

けれど時々、リンゴと話をしているような気がする。

 

ぼくはリンゴに、ある日聞いてみた。

 

「モモはきみに、なにか話をするんだろ?」

 

「しないよ」

 

「でも、」

 

「しないよ、しってるでしょ、モモには口がないもの」

 

「それも知ってる、でも、きみには何か話すのかなって思ったから。」

 

「話さないよ、何も話さない、でも耳元に顔を寄せて、時々手を握ってくれる、だから、何も話さなくてもいいんだよ」

 

「そうだったね、知ってる。なんでそのことを、ぼくは忘れていたんだろう。」