『クロガミ』
「なにか怖い話を、聞かせてよ。」
「怖い話って、こんな炎天下の真っ昼間に?」
「うん。」
山奥のバス停で出会ったその女性は、自分の名前を「フォーティーン」だと名乗った。なぜフォーティーンなのかと言えば、自分が14歳だからだと彼女は言った。
「14歳には見えないね、なんだかもっとずいぶん大人っぽく見える。」
「いくつに見えるの?」
「正直に言えば、二十代の半ばか後半かなと思った。いやごめん、聞かれたからさ・・・、失礼だったらごめん、おれが言いたかったのは、すごく魅力的に見えるよって、意味でさ。ただ本当にきみが14歳なら、わざわざフォーティーンなんて、たぶん名乗らないでしょ。」
疲れていたせいもあり、何も考えずに頭にあることをストレートに答えてしまってから、ぼくは少しだけ後悔をした。
「ふ〜ん、そっか。」
「まあ別にきみがいくつだろうと、おれはいっこうにかまわないけれど。」
「かまわない、っていうのは?たとえば自称14歳の私がさ、あなたのことをかっこいいなあと思ってて、ここで出会ってこうやって声をかけて、この後お酒を飲みに行こうよって誘ってもいいってこと?」
「正直に答えればいい?」
「うん。」
「まあ、いいと思うよ、いっこうにかまわない。」
彼女は、蛍光色を帯びた紫色の小さな花が今まさに咲き開いたような笑顔を浮かべて、ぼくの下腹に静かにゆっくり小さな拳を叩き入れた。
ぼくは時々、休日を利用して山あいの山村をあてもなく歩く。特に何があるわけではない場所をひたすら、連なる青い山を見つめながら黙々と歩き、どこかにたどり着けばそれでよし、どこにもたどり着かなければ、またひたすら歩いて出発点まで戻ってくる。その距離は、片道だけでも三十キロとか四十キロにも及ぶため、帰りには鉄道か、あるいはバスを想定して歩いている。ただ時にはバスや鉄道の通わない場所にもたどり着く。その時はその時、なんとかしてきた。ただひたすらもと来た道を歩くこともあれば、たまたま通りかかった車に拾われたこともある。
その日は片道二十キロほどを歩き終え、午後一時を過ぎた頃だった。八月初旬の暑さで干からびた体を考慮して、流石にこのあとの行程はバスを利用することにした。
テロリストに爆破でもされて朽ちかけた東屋みたいなバス停のベンチに座っていた彼女は、汗だくでクタクタになってそこを目指して歩くぼくを凝視していた。
「あと二時間、来ないよ、バス。」
たどり着いたバス停を通過するコミュニティーバスは、日に四本しか運行していないようだった。
「うん、いま、この時刻表を見たよ。」
「この辺の人じゃないでしょ。」
「うん、この辺の人じゃない。でも今は、わりとこの辺に住んでるけれど。」
「ちがうちがう、この土地の人じゃないでしょ。」
「そうだね、やっぱりそういうことわかるのかな。」
「さあね、私もこの土地の人間じゃないけど、適当に言ってみただけ。」
そう言ってフォーティーンは乾いた笑顔を浮かべた。
さっきまで雨降るように聞こえていた数種類のセミの声はやみ、いまは一匹だけのウグイスがやけに奇抜な歌声をあげている。ホーホケが刹那的で、キョだけが永劫のようなホーホケキョ。
山陰に沈むはるか昔の核シェルターみたいなバス停のベンチにたどり着いてから、フォーティーンと途切れ途切れに会話を交わしつつ一時間ほどが経過した。
「ねえ。」
「うん、なに?」
「なにか怖い話、聞かせてよ。」
「怖い話って、こんな炎天下の真っ昼間に?」
「うん。」
フォーティーンはさっきからずっと、もうかなり長い時間、遠くの山あいをじっと見つめている。
「それはふたりで交互に話すのかな、つまり百物語みたいに。」
「ちがうよ、ちがうちがう、私は話さない。話すの下手くそだから。セブンに話してほしいの。」
ぼくはフォーティーンとわずかに交わした会話の中で、自分の年齢を七歳だとして、名前をセブンと名乗った。
「怖い話か、」
「うん、セブンは怖い話、得意だと思う。」
「おれの得意不得意を、きみはもう認識してるわけだ、すごいね。」
「適当に言ってるだけだよ。」
「そうか、さて、怖い話か、それじゃあ、」
バス停の前を泥だらけの軽トラックがものすごいスピードで走り抜けていった。運転手の顔は見えなかったが、その視線だけがやけに陰鬱な残像としてその場にしばらく留まっていた。
「この山道をあがってくる入り口にさ、あ、いっこ聞いておくけれど、フォーティーンは、この道をここまで登ってきたんだよね?」
「うん、バスターミナルからずっと歩いて、登ってきたよ。」
「オーケー、じゃあ話を続ける。今日さ、ここまで来る時、山道の入り口に警備員が立ってた。道路工事とかの脇にいてさ、交通整理なんかしている制服を着て旗を持った警備員。いろんな場所でよく見かけるやつだよ。けっこう年配の人が多くて、日雇いみたいな感じで働いてるのかなあって思う、まあそれはいいけれど、」
「うん、その人わたしも見た。」
「普通に見かける警備員より、特徴的じゃなかった?」
「うん、同じ人だね、たぶん。」
「そっか見たんだ、じゃあその話をしよう。彼、サングラスをかけていた。この日差しの下だからサングラスくらいかけていてもおかしくはない。だけど普通のサングラスじゃなかった。X-MENのサイクロプスがかけてるみたいなひとつながりのゴツいやつだった。X-MENってわかる?」
「わかるよ、そうっ!そうなんだよっ!」
「だけど、そんなことよりもっとやばかったでしょ?」
「まってまって、その話わかるの、今このふたりだけでしょ!!!」
「かもね。」
「アホみたいにデカい犬を連れてたっ!あれ、犬っ!?」
「おれにもよくわからない、確かに犬に見えたけど、小さな馬くらいはあったし、あんな犬種をおれは知らない。警備員が犬を連れているシチュエーションも初めて見た。」
「ねえセブン、私こんなつもりで話したんじゃないの。あの警備員のこと、あの瞬間はすごく怖かったけどすぐ忘れちゃってて・・・、でも、」
「うん、わかるよ、おれも見かけた瞬間はとんでもなく怖かった、でもすぐ忘れちゃってた。ただいまあらためて思い出して、奇妙と言うか、なんだか怖いなあって、だから話してみたけれど、」
「あの周りで工事なんかしてなかったよね?」
「素人目に見る限りではね。」
「背中にねっ・・・、」
「うん、ショットガンを下げてた。猟銃?わかんないけど、ショットガンだったと思う。そんなことあるかな・・・?いずれにせよ、雰囲気は異常だった。だからちょっと怖いなあと思って、あまり見ないようにして通り過ぎた。でも、いまふと思い出して、話してみたよ。」
「あの警備員、無線機持ってたでしょ?」
「いや、それは気付かなかったけれど。」
「ちょうど無線機で話してるところ、私ちょっとだけ、その話が聞こえたのよ・・・。」
「どんな話だったの?」
つい先ほどふたりの目の前を通り過ぎた泥だらけの軽トラックが、どこかから折り返してきたように再びものすごいスピードでバス停の前を走り抜けていった。さっきと同様に運転手の顔は見えなかったが、なぜかその視線だけが、やけに陰鬱で狂おしいばかりの残像として、その場にしばらく漂っていた。