ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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憑物筋の分布における地域差 - キツネにならきっとわかる憑物の話 -〚 第陸話 〛


日本における憑物筋の分布には多数地帯と少数地帯、つまり大きな地域差が見られるのだが、ではこの地域差はいったい如何にして生じているのか。

 

石塚尊俊はこの理由を家結合の面から考察している。

 

憑物筋の分布における地域差 - キツネにならきっとわかる憑物の話 -〚 第陸話 〛

 

日本の農村社会を家結合の面から見てみると、まず大きく二つに分類することが出来る。これは東北日本型と西南日本型、あるいは同族型と講組型である。つまりこれは東北においては同族体による上下関係が強く、一方西南においては講組による対等関係が顕著に見られるということである。

 

更にこれを細分化してゆくと、この同族型と講組型の二つの要素に、擬制的親子関係と年齢集団という二つの要素を付加して、各地域を分類することが出来る。つまりは以下のようになるわけである。

 

  1. 同族による上下的主従関係の強い地域 → 東北
  2. 擬制的親子関係における上下的主従関係の強い地域 → 北陸、中部
  3. 講組による対等関係の顕著な地域 → 関東、近畿、中国、四国
  4. 年齢集団による対等関係の顕著な地域 → 中部漁村、九州

 

これを憑物筋の多数地帯と照らしあわせてみると、三番目の「講組による対等関係が顕著な地域」に当てはめることができる。ただこの中でも、必ずしもすべての地域において憑物筋が多いわけではない。近畿地方などではほとんど見ることが出来ないのである。つまりはこの分類化した地域の中においても、さらに細かく分けて検討する必要があるということになる。

 

石塚尊俊はここで、例えば山陰地方の出雲と石見とでは家結合の状態に大きな違いがあり、出雲ではいわゆる同族体が強固であるとはいえないまでも、少なくとも本家を中心とするカブの発達が珍しくないことに対して、石見ではそもそも同一集落の中で本家分家関係がひとつもないような地域さえ珍しくない、というようなことを述べている。その例と、同族による上下的主従関係の強い東北地方には非常に憑物筋が少ないということを踏まえて以下の様な推察をしている。

 

この憑きもの筋なるものは、同族体が今日なお強固なところでは膨張せず、また古くから講組的人間関係が発達したところでは消えてしまっているが、そのいわば中間ともいうべき、古来の上下関係からこれに代わる講組的組織に移りつつあるというようなところでは大きく膨張している。わけても出雲や土佐の一部に多いのは、ここがいわば講組地帯における孤立的上下関係地域となっているからではあるまいかということをいったのである。

 

また一方では、この多数地帯と少数地帯の地域差に関していえば、各地域にはそれぞれ相異なる特殊な事情があることも事実だとしていて、単に社会構成の原理が同じでも、歴史的事情の異なった場所においては、そこにはまた異なる現象も生じてくるだろうとしている。つまりは、過去における土地の支配者の方針が異なるとか、その土地における宗教者の活動の違いによりまったく宗旨を異にした信仰が広まっているとかによっても状況はずいぶんと変わってくるため、そうしたことを総合的に考えなければなかなか説明はつけにくいということである。

 

次回へ続く。

 

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