ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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2016-08-18から1日間の記事一覧

祖父が教えてくれた、ハイパーコックリさんの話。

ぼくが小学生の頃だったと記憶しているが、学校でコックリさんというものが大いに流行ったことがあった。 コックリさんとは一種の占いのようなもので、一枚の大きな白い紙を用意して、その紙に鳥居の絵と五十音、零から九までの数字、そして「はい」と「いい…

憑物使いの存在 - キツネにならきっとわかる憑物の話 -〚 第捌話 〛

今日の希少地帯における憑物筋の中には、憑物筋と呼ぶよりも「憑物使い」と呼ぶべきがふさわしいようなものが実際にいると、石塚尊俊は述べている。 事実、そういう場合においては「使う」という言葉を付けて、イヅナ使いだったり犬神使いなどと呼ぶ地域が少…