ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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憑物使いの存在 - キツネにならきっとわかる憑物の話 -〚 第捌話 〛


今日の希少地帯における憑物筋の中には、憑物筋と呼ぶよりも「憑物使い」と呼ぶべきがふさわしいようなものが実際にいると、石塚尊俊は述べている。

 

事実、そういう場合においては「使う」という言葉を付けて、イヅナ使いだったり犬神使いなどと呼ぶ地域が少なくないという。

 

憑物使いの存在 - キツネにならきっとわかる憑物の話 -〚 第捌話 〛

 

その例を見てみると、山形県南置賜郡中津川村(現在の飯豊町)では、苗字が井綱(いずな)氏というイズナ使いの法印がいて、常に雄雌二匹の狐を使っていたというものや、神奈川県の横須賀市ではある老婆がクダ狐をマッチ箱大の小箱に入れて飼っていたというもの、また長野県小県郡殿城村(現在の上田市)では、ヌノウという口寄せの巫女が、背中に背負っていつも持ち歩く箱の中に人型とクダ狐をいれていたというものなど、そういった話は実に多い。

 

西日本に入るとこういう憑物使いの話はグンと減るのだが、比較的少数地帯では、やはり存在する。

 

香川県三豊郡地方では、屋敷内に塚を築いてトンボ神を祀っている家があったり、大分県速見郡地方には、昭和三十年ごろに、実際に犬を土中に埋めて首だけ出させて飢えさせ、餓え切ったところでその首を切り落とし、そうやって得た犬の首に湧き出た蛆を金儲けに効くお守りだとして売っていた巫女がいたという。この速見郡での例は、犬神を作り出す手法によく似ている。

 

ちなみに江戸期の国学者である本居宣長は『賤者考』の中で犬神の作り方に関して以下のように述べている。

 

俗伝ながら、里老の話に、猛くすぐれたる犬を多く噛み合わせて、ことごとく他を噛み殺して、残れる一匹の犬を、生きながらえしめたる上にて、その魚食をあたえ喰わしめて、やがてその頭を切りて筺に封じ、残れる魚食を喰らえば、その術成就す

 

またこれに関して「賤しくあさましき限りなり」と述べている。

 

犬神に関してはまた詳しく後述しようと考えているが、上記のように犬を戦わせて最後に残った犬を呪術に使うのは、中国での犬蠱から発するものかと考えられる。犬蠱とは先にも述べている蠱道の類である。

 

さて、この他にもこの憑物使いなるものの話は、あげれば山程も存在するのであって、今日のその実態は近世以前の文献に見ることが出来る、例えば強い迫害を受け恐れられていた狐使いや犬神使いとさほど変わらないようである。

 

次回へ続く

 

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月白貉