ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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随筆

カクサレタモノ - ソノニ

そのトンネルの話で、ある地元の人から聞いた不可思議な話があった。 その人は知り合った町の住民の中でも、いろんなことを包み隠さず話してくれる数少ない人で、なかなか年配の、いわゆる地元の古老的な存在だったのだが、 雰囲気は江戸の下町風にべらんめ…

見知らぬタイムマシン

久しぶりに見知らぬ街を歩く一日を過ごす。 古いというよりも、時の経ちすぎた抜け殻のようになってしまった残骸商店街や、裏路地に連なる朽ちかけた墓標のような住宅の群れを通り抜けると、物悲しくなりつつも何か心地のよい風に吹かれるような気持ちになる…

カクサレタモノ - ソノイチ

先日、気になる話を耳にした。 ぼくが以前暮らしていた町にある古いトンネル周辺にまつわる話である。 ぼくの住んでいた町というのは、人口がおよそ400人ほどの小さな山間の集落で、独特の古い歴史を残していることでもよく知られており、その価値が認められ…

ナメクジラージルロスメモリイナム

部屋の窓を開けて空気を入れ替えていたら、ふと気づくと網戸の隙間からナメクジが忍び込んできていた。 ああ、嫌だなあと思い、すぐさま塩をかけて、しばらく放置していた。 戻ってきてみて、溶けているだろうと思ったのだけれど、溶けずに、体そのままで、…

『漂流教室』を読んで思ったこと - 3月11日の記憶 其の一

2011年3月11日、東日本を震源とする大きな地震が起きた時、ぼくは東京のどまんなかにある高層ビルの20階で働いていた。 免震構造がなされた高層ビルは、その地震で凄まじい揺れ方をした。 ぼくの座っていた小さなタイヤの付いた椅子が、ぼくを乗せたまま縦横…

ゴーレムの住処

小学生の頃、六年間を通して何度か同じクラスになった小泉くんというすごく器用な男の子がいた。 家も近くなかったし、席も離れていることが多かったから、それほど仲良しではなかった気がするのだが、 低学年の頃はいつも彼と一緒に粘土遊びをしていた。 作…

どこにもたどりつかないバス

バスに乗って家に帰る夢を見た。 このバスはちゃんと目的のバス停を経由するバスだろうか、料金はいくら掛かるのだろうか、そもそも間違った方向に行くバスに乗ったんじゃないか。 そういう不安いっぱいで、運転手のすぐ後ろの座席から身を乗り出して、ずっ…

お金は貸しますが、命は貸しませんよ。

死ぬこととは何かを問う前に、まずは今を生きていることとは何かを問うべきなのだが、多くの人々は日々、たぶん死ぬという区切りまでのことを、問うのではなく、ただ考えているだけなのだろう。 死ぬまでどうやって生きてゆこうか、死なないようにどれだけ生…

普通自動車運転免許を有していない方

ある地域おこし協力隊の求人をインターネット上で見ていて、ふと思ったことがある。 応募資格の中に「普通自動車運転免許を有している方」という条件が入っているのが目に付いたからだ。 東京に住んでいる頃には、例えば求人情報を見ていてもそれほど気にか…

大便所図書館

故郷に蔵書の殆どを置き去りにしているぼくが、現在手元においている本はほんとうにわずかなものだが、その数少ない我が愛する蔵書は、トイレにおいてある。 特に長トイレな人間ではないのだが、 ふと息やらなんやらが抜ける瞬間に、手を伸ばした本の無造作…

人間を捕食するもの

人間を捕食の対象としている生物はぼくの知る限りでは、ほぼいない。 まあ時には、ワニに食べられたり、サメに食べられたり、クマに食べられたりすることは、突発的にはあるだろうけれど、日常的な脅威として何者かに定期的に捕まって食べられてしまうという…

はまち一本道 - きみぼくめし

ずいぶん前のごはんのことを思い出すのってなかなか困難です。 でも写真があると、割と思い出します。 ハマチの刺し身、ハマチのあら炊き、柿と自家製チーズのサラダ、かぼちゃの煮物。写真にはありませんが、新米の玄米を海苔で巻いたもの、高菜の油炒め、…

アナログ・イズ・ビューティフル

最近世の中はデジタルがお好みらしい。 例えば映画の撮影にはフィルムではなく最新鋭のデジタルカメラを導入する傾向がみられたり、フルCGのアニメーション映画に及んでは撮影段階のみならず上映にすらフィルムを使わないらしい。 確かにフィルムは劣化する…

アメニモマケズ・・・

基本的にぼくは、天気予報というものをめったなことがないかぎりチェックしない。その日の気分や空気の匂いや、蛙の噂で天気を予想することにしている。 数年前のある夏の日、その日のぼくの予想は関東地方の降水確率0パーセント。当然の如く雨に何の対策も…