ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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普通自動車運転免許を有していない方

ある地域おこし協力隊の求人をインターネット上で見ていて、ふと思ったことがある。

 

応募資格の中に「普通自動車運転免許を有している方」という条件が入っているのが目に付いたからだ。

 

普通自動車運転免許を有していない方

 

東京に住んでいる頃には、例えば求人情報を見ていてもそれほど気にかけなかった項目なのだが、地方に住んでみると、求人のほとんどの条件として「普通自動車運転免許を有している方」、つまり自動車を運転できることが必須となっている。

 

ぼくは普通自動車運転免許は有しているが、ながらく東京に暮らしていたためもう十数年の間、自動車を運転していない。だからたぶん普通には運転できなくなっていると思う。

 

そこで話は地域おこし協力隊の求人に戻るのだけれど、

 

はたして必須条件として、「普通自動車運転免許を有している方」というものをあげる必要があるだろうかと疑問に思うのである。

 

ぼくは約一年半の間、島根県のある山の中に住んでいたのだが、自動車を所有していなかったし、もうほとんど運転ができないので、自動車のない生活をしていた。たしかに不便な面はものすごく大きかったけれど、そのおかげで多くのことを見つけることが出来たし、多くの人に出会うことが出来たし、地方の山の中に暮らすということの意味を少なからず理解することが出来たと思っている。そういう生活スタイルをとるぼくを多くの人が助けてくれたし、時にはその生活を奇異の目で見られたり噂されたりしたこともあったけれど、そういうことだって、その地域の中でぼくのことを覚えてもらえる大きなチャンスだし、ネタとしてとってもおもしろいじゃないかと思っていた。

 

そういうぼくに言わせれば、地域をおこすことって、運転免許なんかなくたって出来ると思うし、

 

もっといえば自動車を使わなくてもいい生活を、その地域の中で確立して、地域の中でしっかり生きてゆこうとすること、そういう仕組みを、そういう生き方を作り出すことが、地域をおこすことなんじゃないかと思うわけである。

 

さすがに遠出や旅行をするときにも「ちゃんと自分の足で歩いてゆけ!」とまでは言わない。ほんとうはそのほうがより良いとは思っているけれど、ぼくだってバスも使うし電車や汽車も、時には飛行機や船も使う。それはそれでいいと思う。でも普通に生活するのに、なんでもかんでも自動車を使わなくてもいいじゃないかと思うし、そういうことが世の中を悪くしているとも思う。

 

だからもし、ある地域の人が、自分の地域をおこしてくれる人々を呼び寄せたいのなら、ほんとうに地域をよくしてゆこうと思うのなら、

 

普通自動車運転免許を有していない方」を条件にするべきだと思うに至るのである。

 

地域をおこすってことの意味合いが、本質とはずいぶんかけ離れてきているから、いっこうに何も変わらないんじゃないだろうか。

 

 

 

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月白貉