ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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見知らぬタイムマシン

久しぶりに見知らぬ街を歩く一日を過ごす。

 

古いというよりも、時の経ちすぎた抜け殻のようになってしまった残骸商店街や、裏路地に連なる朽ちかけた墓標のような住宅の群れを通り抜けると、物悲しくなりつつも何か心地のよい風に吹かれるような気持ちになることがある。

 

見知らぬタイムマシン

 

梶井基次郎が「檸檬」の中でこんなことを書いている。

 

何故だか其頃、私はみすぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えてゐる。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしても他処他処しい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋が覗いてゐたりする裏通りが好きであった。雨や風が蝕んでやがて土に帰ってしまふ、と云ったやうな趣きのある街で、土塀が崩れていたり家竝が傾きかかってゐたり、勢ひのいいのは植物だけで、時とするとびっくりさせるような向日葵があったりカンナが咲いてゐたりする。ときどき私はそんな路を歩きながら、不圖、其処が京都ではなくて京都から何百理も離れた仙台とか長崎、そのやうな市へ今日自分が来てゐるのだ、といふ錯覚を起さうと努める。

 

とある寂れた商店街の一角に、この頃ではめったにお目にかかれないような古めかしい書店がポツリと建っていた。

 

看板には「〇〇文庫」と書かれている。店の中は六畳にもみたないくらいの小さな敷地で、店の半分だけに漫画と雑誌と少しの文庫が並んでいる。店番をするのは少し腰の曲がった白髪の老婆で、カウンターに腰掛けて三十代くらいの男性と話をしていた。

 

ぼくが「こんにちは。」と言って店に入ると、「はい、いらっしゃい。」と上品な返事があり、老婆は男性との話を続けている。

 

「小さな植物図鑑がほしいんですよ、こんど親と山に行くもので、山に行って知らない花やなんかあったときに、植物図鑑があったらよいでしょう。親にもわからないような花があるかもしれないから。でも大きな図鑑だと持ち歩けないし、大きな図鑑だと高いでしょう。なんかこう小さい図鑑みたいなものがあれば注文したいんですよねえ。」

 

「ああ、それならポケットサイズのやつね。」

 

店の中のもう半分には、本は一冊も置いておらず、見知らぬ画家の絵が数点飾ってある小さなギャラリーのような空間になっていた。そして数点の絵の中に、その書店が描かれているものがあった。

 

ぼくの背後では、どうやら老婆と男性が書籍のカタログで植物図鑑を品定めしているらしかった。

 

「ああ、じゃあこのポケット版の植物図鑑を注文しますよ、これならいいや、じゃあ、よろしくお願いします。」

 

男性が書店を出てゆくとしばらくして、老婆がぼくに声をかけてきた。

 

「ごめんねさいね、せっかく来てくださったのに声もかけずに。きょうはね、その作家さんの個展が大山のほうであるんだってことで、ここにいつも飾ってある絵がほとんどそっちに行っちゃってるんですよ、だからねえ、ほんと数点しかないんです、せっかく来てくださったのに、ごめんなさいねえ。」

 

ぼくを見上げるその人は、少女漫画に出てくるようなキラキラと潤んだきれいな目をしていて、肌の色がとても品のよい白色で、頬の部分だけが薄いピンク色にぼやけていた。そしてなんだか女学生みたいな若々しい笑みを浮かべていた。

 

「ずいぶんと古い建物なんですねえ。」とぼくが言うと、

 

「ここはもともと昭和初期に建てられた郵便局だったんですよ、

 

この天井の梁があるでしょう、ここがちょうどカウンターでねえ、こんな風にして壁にもたれて順番を待つんですよ。そしてこの奥が事務所で、二階が昔の畳敷きの部屋になってましてね、住み込みの郵便局だったみたいですね。あたしが子どもの時分なんかにおつかいでここにくるとね、タイプライターの音が響いていましてねえ。」

 

老婆の話によれば、郵便局ではなくなった建物を借りて書店をやっていたのだが、近年の老朽化で取り壊しが決定して、業者も日取りも決まってしまい、大家さんからも、もう書店としては貸せないので店をたたんでくださいと言われていた矢先、この建物を保存しようという人々がやってきて、結局取り壊さずに残すことになったという、半分は老女の営む書店で半分はフリーのスペースとして。

 

日本の景観が変わってしまうのは、かつて多くの建物が木造だったからだという人がいるけれど、ぼくはそうは思わない。

 

景観を残そうという思いが足りないからだろう。

 

「街並みも昔に比べたらずいぶん変わったでしょうねえ。」とぼくが言うと、

 

「そりゃあもう、まったく何もかも変わりましたよ。あたしがたかだか85年しか生きていない間に、この辺りにあったものはなんにもなくなってしまいました。あそこにも、それからそこにも駐車場があるけれど、あそこもそこも昔の建物があったんです。この辺りも昔はずいぶんにぎやかだったんですよ。」

 

ぼくは礼を言って店を出た。

 

老婆の目はずっとキラキラしていて、なんだかタイムマシンのヘッドライトみたいだった。

 

「また何かの折にでも来てみてください、絵も戻ってきていますから、それじゃあ失礼します。」

 

「はい、また機会があればうかがいます。」

 

見知らぬ街を歩いていると、見知らぬ人に出会って、見知らぬ話を聞くことがある。でもそういうことは、何か見知ったことにつながっていて、けれどまたすぐに忘却の彼方へと消え去ってしまう。

 

 久しぶりに見知らぬ街を歩いてみたそんな日の、出来事である。

 

 

 

檸檬

檸檬

 
昭和モダン建築巡礼 東日本編

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月白貉