ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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田舎の酒屋にはテキーラなんて売っていない、あるのは密造のウォッカとジンくらいだブルシット日記。

今日ふと思ったんだけれど、ぼくはいますごく自由な時間の中にいる。

 

まあ、常に、いつだって自由な時間の中にはいるんだけれど、いまはな〜んにも気にしなくてもいい日々が少しだけ目の前にある。でもそんな時でも、なんだかわりと規則正しい生活を送っちゃっている自分がいる。

 

バカだなあ。

 

せっかくだからもっとぶち壊れた生活を送ってみたらいいのになあ。

 

ただぼくのぶち壊れ方の方向性にもよるが。

 

バットマンのマスクをかぶってトンプソン・サブマシンガンを携えて、つぶれかけの寂れた酒屋に、テキーラ一本欲しさに強盗に入るとか、でも田舎の寂れた酒屋にテキーラはなく、そのかわりに年老いた武器マニアの店主がコルト・パイソンで反撃してきて、左の脇腹を撃たれて重症を負って逃亡するとか。

 

その数カ月後、酒屋の脇を流れる川に遺伝子操作されて凶暴化したヤツメウナギを大量に放つとか、目的は酒屋の店主への逆恨みだけれど、その川に残留していた特殊な薬品(酒屋の店主が密かに行っている科学実験の関係で排出されている薬品)の影響で数百匹のヤツメウナギが一体化して、一番近くにいたぼくがまず襲われて右腕を失うとか。

 

いや違うな。

 

もっと自分の中で、アイデンティティとしてぶち壊れなければ意味がない。

 

いまの生活を捨てて、無計画に世界の僻地にでも旅に出て、そこで生きるすべを探してみたりしようかな。

 

ちょっとマジだな、いい感じ。

 

だって疲れちゃった、ほんとうに疲れちゃった。

 

ミクロな自由からの逃避行。どのみちこんなところで毎日酒飲んでたって、あとは突っ伏して死ぬだけでしょ。突っ伏して死ぬなら、人跡未踏のジャングルに眠る古代遺跡を探しに行って、その遺跡を見つける直前とかで死んだほうが、ぜったい楽しいだろうなあ。クソみたいに苦しいだろうけれど、刹那的なことで言えばアホみたいに楽しいと思う。

 

健康だとか保険だとか年金だとか、そんなこと、どうでもよくねえ?そんなことばかり考えて生きていて、人生は本当に楽しいのか、アホ諸君?

 

はい、もちろんぼくは一切考えていません。

 

そんなものは牛の糞です。

That’s bullshit !

 

まあ今日は、そんな自由日記です。

 

ここは自由帳なので、自由な日記しか書く気遣いはございません。

 

かしこみ、かしこみ、なんてもうしませんことよ、おほほ。

 

そして、かしこ。

 

眠る前には、おまえら、歯もそうだけれど、自由な翼も磨けよ。

 

おやすみなさい。