ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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骰子の目は六、振り出しに戻る日記。

もうずいぶん前になるけれど、仕事も恋人も失って、まったくお金もなくて食費どころか家賃も払えなくなりそうで、ひとりぽっちでどうしようと思っているところに、追い打ちをかけるように原因不明の高熱が出て一週間寝込んだことがあったなあと、きょう、ふと思い出した。

 

あの時のこと、なんだか夢のように思う。

 

季節は今と同じ寒い冬のことだった。

 

あれからずいぶん経って、その間にも様々なことがあって、そしてきょうぼくは、自分があの時みたいに、スゴロクの振り出しみたいな場所に戻ってきたなあと、そう思うような出来事があった。

 

そう、ぼくは今日、このスゴロクの振り出しに戻ったんだ。

 

前途多難だと言えばそうかもしれないし、この状況が相手にとって不足なしと言えばそうかもしれない。

 

ゴールがあるかどうかもわからないスゴロクをやっているんだから、何度も何度も降り出しに戻ってくることだってあるさ。

 

同じ過ちを何度となく繰り返し、その度に失望や懺悔を繰り返し、一体本当にぼくは先に進んでいるのかと思って、諦めて地べたに寝転びたくなることだってあるし、地べたに寝転んじゃうことだってある。

 

まあでも、また歩き出そう。今からじゃあ到底ゴールなんてたどり着けないような気もするけど、まだしばらく歩く余力は残っているし、そもそもこのスゴロクはゴールするためのものじゃなくて、何度も振り出しに戻ることを楽しむゲームかも知れないじゃないか。

 

ねえ、そうだろ?

 

だから今日は、大してめでたいことでもないけれど、振り出しに戻ったことを祝って、少しだけよいワインを開けて、静かに食事を楽しもう。

 

 

 

月白貉