ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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東方の三賢人

黒酒宙というのがぼくの祖父の名前だった。

 

読み方は姓がクロキ、そして名がチュウ、町内では「チュウさん」とか、人によっては「クロチュウ」とか呼ばれていた。

 

ただ、祖父は町内ではずいぶんと変わり者扱いされていて、近隣の多くの人々に陰口を叩かれたり、毛嫌いされている存在であることを、ぼくはずいぶん幼い頃から知っていた。

 

ぼく自身が祖父のことで学校でいじめられたり、嫌な目に合わされたりしたことはなかったが、時々町中でコソコソと祖父のことを話している大人に出会すことは頻繁にあった。学校帰りの道端や、近所のスーパーや、あるいは公園の井戸端会議や、人々はなんでそんなにぼくの祖父のことばかり話しているんだろうと不思議に思うくらい、町内では、ある意味において注目の人物だった。

 

だから実際のところは、祖父のことを親しみを込めて「宙さん」とか「黒宙」とか呼んでいる人は、ほんとうにごくごく数人の、数人どころかぼくの知る限りでは三人の、祖父と同年代の老人だけだった。

 

そしてその三人ともすべて男性で、祖父には町内で親交のある女性、いわゆるガールフレンドはひとりもいなかった。祖父には、そばに居てくれるたったひとりの女性で、もちろん十分だったのだと思う。晩年になって祖母が交通事故にあい祖父の側からいなくなってしまっても、祖父は周囲にはずいぶん気丈に振舞っていたが、ぼくから見ると、それまでの祖父の身体から何かを抜き取り、大鋸屑か何かで詰め物をしたように、祖父はまったく精気をなくしたように見えた。

 

町内で祖父のことを慕う三人の老人は、祖父と同様に噂話の対象になっている人々で、祖父と同じように町内では煙たがられる存在だった。

 

彼らは陰で、「三長老」と呼ばれていた。

 

陰で呼ばれているくらいだから当然それは尊敬の意味ではなく、ぼくから言わせると愚者たちの悪意ある嫌味でしかなかった。ぼくが祖父の家を訪れると、度々彼らに顔を合わせる機会があった。彼らが祖父の家に集う目的は、たとえば将棋や囲碁をやったり、あてもない世間話をしながらお茶を飲み煎餅を貪ることではなかった。

 

祖父は地元の郷土史研究家、あるいはアマチュアの民俗学者としての側面を持っていて、こと地元の歴史に関しては、おそらくはどこぞのプロの学者などは足元にも及ばないほど多くの知識を有していた。特に、町の鎮守として知られる白山八幡神社の裏山に存在したという特異な山岳信仰と、その祭祀遺跡に関しての調査と研究にずいぶんと入れ込んでいて、何度か論文も発表していた。

 

時間を見つけては隣県にある大学にも足繁く通い、本格的な調査協力の依頼や自説と従来の歴史的推察との比較検討の提案などを何度となく繰り返していたようだが、祖父の展開するあまりにも荒唐無稽な話に、誰ひとりとして真剣に向き合ってはくれなかったという。そんな祖父の数少ない協力者が、祖父を慕う三人の老人だった。

 

薬師さん、黄金さん、香神さん、それが彼らの名前だった。

 

ぼくはその三人を、「三長老」ではなく、もちろん陰口などでもなく、敬意を評して「三賢人」と呼んでいた。

 

町内では、ぼくの祖父と三人の老人たちとの親交は知れ渡っていたが、町内の噂話の中では、祖父は他の三人のように「長老」には名を連ねられてはいなかった。おかしな老人の集まりだとして、安易に「四長老」などと噂されそうなものだが、何故か「三長老」とは区別されていて、さらには存在をバカにする渾名のようなものさえも付けられてはいなかった。「黒酒さんとこのねえ」などと名前で呼ばれるのはまだいい方で、大抵は「あの人ねえ」とか「あのじいさんか」みたいな感じで、遠称の代名詞を使って呼ばれていた。おそらくだが、ぼくの祖父は他の三人とは別格で、群を抜いて変わり者扱いされ、もはやタブー視の域に達していたのかもしれない。

 

薬師さんも黄金さんも香神さんも、祖父のことに関しての町内の噂や陰口のことはもちろんとうに知っていただろうけれど、そんなことはまったくもってどこ吹く風で気にもせず、暇さえあれば祖父の家に集ってきた。祖父の家の居間でちゃぶ台を取り囲み、ああだこうだと言って祖父の話に耳を傾ける彼らの姿は、

 

まるで新約聖書で言うところの、まさに東方の三賢人みたいだった。そうなってくると、ぼくの祖父はさながらイエス・キリストということになる。

 

ぼくが一度、四人の前でそのことを話すと、

 

「そりゃそうだよ、私たちは宙さんの顔を拝みに、遠く東の方からわざわざやって来てるんだからなあ。」

 

「そうそう、ほれ、こうやって贈り物だって持ってきてるしなあ、こりゃあとでのお楽しみだがな。」

 

「おっ、ウマそうなやつだな、こりゃあ酒がすすむんだよ、マサちゃんもあとでおいでおいで、三賢人に入ったらいいんだよ、ありゃあ聖書には人数は書いてないんだよ、だから三人なんて決まりじゃねえんだ、だからマサちゃんも賢人入りだな。」

 

「マサヒコ、そういうわけで今日は三賢人と晩餐会だから、お母さんに夕ごはんはいらないって言っておいてな、お前も晩餐会に参加したかったら後でおいで、賢人に入れてくれるみたいだからな、はっはっはっはっ。」

 

 

 

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月白貉