強力な魔法使いになるには、闇の中であえて見失った焦点を再び探すことが大切日記。
不安や悩みをたくさん抱え、そして時には真っ暗闇の深い穴に落ちて、誰からの助けもないまま底でうずくまることがあれど、それでいいじゃないかと、ぼくはあるひとに教えてもらった。
それがまともな人の生き方だと、ぼくはそう教えてもらった。
だから平気、まあ平気じゃない時もあるが、その魔法の言葉は、ぼくが死ぬまで消えぬ守護の魔法だと、いま思う。
だからそんな魔法を、誰かにかけられるような人になりたいと、ひそかに思っている。
いつかそんな魔法使いに、なれる日が来るだろうか。
日常のなにげない出来事をきっかけに、いろんなことをふと思い出す。
大学時代、ひとり暮らしの部屋によく新聞の勧誘がやってきた。
そしてぼくの住んでいた地域では、ある大手新聞の勧誘員のほとんどが、まあいわゆるその筋のお兄さんたちだった。他の地区がどうなのかは知らないけれど、ぼくのところはそうだった。
ぼくは学生でお金もなかったし、新聞なんかとる余裕もつもりもなかったので、「いらない」の一点張りだった。いらないものは、いらない。そういうことは、はっきり言う。そんな時、ずいぶんと強引な勧誘もたくさん受けた。
つまり、勧誘ではなく、脅されたことも何度もあった。
でもどんなに強引でも脅しでも、真顔で「いりません。」と言ってた。ぼくもけっこう血の気がおおいので、こっちもスイッチが入ると、ずいぶんと長丁場のやり取りが続くことが多くて疲弊したが、いつも相手が折れた。
「このやり方で断られたのお兄さんぐらいだよ、すげえな。」と言われたり、「わかった負けたよ、じゃあ新聞代おれが出すからとってくれよ。」と言われて、ほんとうにしばらくその人が新聞代を払っていたこともあった。
で、そんな状況の中で、いちばん嫌だったことはと言えば。ぼくが胸ぐらつかまれて、おでこぴったりくっ付けられてがん飛ばされてる時にだ、玄関の前を通りかかる近所の住民が、困った顔をしたぼくと目が合っても、見て見ぬ振りで通り過ぎてゆくということだった。
顔見知りの人もいた。
あんな風にはなるまいと心がけている。
雲浄くして妖星落ち、秋高くして塞馬肥ゆ、気をつけなはれや。
窓の外から、川の流れる音がする。もう夜の七時なのに、闇の気配はまだない。
固まって動かない竹林の緑色と、川の上に立ちのぼる見知らぬ煙。
何かがキイキイとか、シュウシュウとかいって、たくさん鳴き出したが、なにかはわからない。いまぼくの求める声ではない。
焦点を合わせるのって、さほど難しいことではない。ただ、いちど見失ってしまった焦点を、もう一度探し出すのは、とんでもなく困難である。もう永遠に見つからないような気がする。
でも一方で、焦点を見失うってことは、大切だと思う。
見失ったものを再び探し出すのが、どれほど大変かということを思い知った上で、あきらめることなく、探すのだ。
たぶんぼくはそういうタイプの人間で、時々バカみたいだと自分でも思うけれど、けれどさあ、仕方がないさ。
おやすみなさい。
月白貉