ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

follow us in feedly

2016-11-12から1日間の記事一覧

鉛筆の芯から創造されたスケルトン『Ash Dancer』は、紙の上で悶えながら灰へと帰す。

ここ数年、鉛筆という道具をほとんど使わなくなった。 こうやって文章をパーソナル・コンピューターのキーボードで打ち込んでしまうし、手紙や、あるいは何かのメモ書きや宅配便のサインも、ボールペンか細筆のマジックか、もしくは筆ペンを使ってしまってい…

一般の食パンとチンピラの食パン、どちらに愛があるのか日記。

お味噌汁の味見したら、下唇火傷した。 デヴィット・リンチの『砂の惑星』に出てくる、参謀のおっさんみたいなことになってる。やだなあ。 ごはん作ってると、なんだかんだで時を忘れる。 いまあるもので生きてゆこう。欲しいものを無駄に追い求めたこともあ…