ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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フランス人が見つめる、妖怪の島としての日本。 - 『YOKAINOSHIMA』 -

昨今の日本人の大半って、自国の伝統的な文化についてずいぶん無知で無関心で無頓着だと感じる。まあぼくだって例外ではないかもしれないけれど・・・。

 

例えば宗教でも、単なるイベントごとの際の形式でしか扱わない人は多いと思う。結婚式は神社やキリスト教会でやるのに、葬式は寺でやる。そういうのをずいぶんよく見かける。神道とかキリスト教とか、あるいは仏教とか他の宗教を信仰していないのであれば、それぞれのやり方でやればいいじゃないかと思うし、もしきちんとした信仰を持っているならば、それに特化して突き詰めたやり方をしたらいいのに、なぜかそういうことだけはみんなと一緒のやり方に無駄に合わせたりする。そして、そういうことにつけ込んだおかしな巨大ビジネスが成り立っている。

 

キリスト教の信者じゃないのに神に永遠の愛を誓ったり、仏教の信者じゃないのに死んだら寺に墓を作って戒名を授けてもらってとか、まったく意味ない気がするのはぼくだけなんだろうか。

 

まあ死後の土葬は法律的に今は駄目なのかも知れないけれど、ぼくは特に明確な信仰を持っているわけではないので、死んで焼いてもらった自分の灰は、海にでも山にでもまいてくれれば、それで十分だと思っている。葬式も墓も戒名もいらないと思っている。ぼくが今持っている信仰をあえてあげるならが、それはおそらく自然崇拝的なものだからである。

 

まあそれは一例だけど、自国にも貴重な文化が存在するに、日本人というのはやけに、中途半端に外国の文化に塗れがちである。外国人から見たら、おかしな国なんだろうなあと思う。

 

もちろん伝統的な文化を見つめて生きている人も、いるところにはいるとは思うけれど、そうではない傾向があまりにも強いような気がするという話。

 

近々で言えば、ハロウィンなんかで大盛りあがりしなくても、日本にも独自の化け物めいた行事はたくさんある。そっちを盛りあげればいいのに、とか。

 

こんなことを書いたのは、とある写真を目にしたからである。

 

シャルル・フレジェ(Charles Fréger)というフランスの写真家が撮影した、日本の田舎に古くから息づく伝統的な民間伝承の儀式と、そこに登場する化け物、つまりは妖怪めいたものたちの写真である。

 

そのプロジェクト名は『YOKAINOSHIMA』。

 

ぼくの大好物である民間伝承と妖怪、それってやっぱり日本の核みたいなもので、とても大切なことだと思っている。

 

ちなみに妖怪という概念は日本独自のもので、海外で言うようなゴーストとかモンスターとかデーモンとかゴブリンとか、厳密に言えばそういうものとはまったく異なったものである。

 

ぼくはアメリカの超ど田舎にホームステイした際に、お土産として天狗のお面を持っていったのだが、「これはなんだ?」と聞かれて、答えにちょっと困った。しばらく考えてから、「日本のモンスターだよ。」と適当に答えたのだが、今考えればきちんと「これは妖怪というものだよ。」と教えればよかったなあと思う。

 

まあ前置きが長くなったが、その『YOKAINOSHIMA』の写真がすっごい見応えなので、ここにいくつかあげてみたい。

 

YOKAINOSHIMA

image source : Charles Fréger | Portraits Photographiques et Uniformes

 

YOKAINOSHIMA

image source : Charles Fréger | Portraits Photographiques et Uniformes

 

ナマハゲとか鬼とか獅子舞とか、誰もが知っている有名なものもあるけれど、なんだかわけのわからないものもあって、すごく恐いところが実にいい。

 

地域によっては妖怪を町おこしに活用しているようなケースもあるけれど、実際にみてみると、それはやはりちょっとハロウィンの影響を受けたりしちゃってて、ちょっと子供だましで、結局ただのコスプレ祭りになっていたりする。あるいは単に例えば水木しげるによってキャラクター化された造形が、妖怪だと思っている人たちも多いと思う。

 

けれど妖怪っていう言葉は、もともとは名詞ではなく、「どこそこの森の中で妖怪あり」などという使い方をするもので、「怪しげな出来事」という意味合いの言葉だった。

 

だからこういう昔からその土地に見え隠れする意味不明な存在こそが、真に妖怪なわけであると感じる。水木しげるは実際にそういうものを土地土地を歩き回って、匂ったり感じたり聴いたりして、その不可解な存在に造形を与えたわけである。

 

おそらくこのフランス人の写真家は、自国の文化をきちんと踏まえた上で、日本を見ているのだと思う。そういう眼差しなんだと思う。

 

だから結局は、自国の伝統的な文化をほとんど理解しないまま、他国の文化に目を向けても、決してその本質は見極められないんじゃないのかと思う。

 

ぼく自身も、もちろん、西洋の文化への憧れはあるし、実際に大いに影響を受けて生活している。ただ、古いしきたりや行事、あるいは民間信仰をわりと大切にしていた家庭で育ったので、いまでもずいぶん日本の伝統的な文化の側面にも、大いなる憧れを持ち合わせているし、それに大いに影響を受けて生きていると自認している。そういうことの片鱗が、このウェブログでも取り扱う、日本民俗学や妖怪や、時には形を変えて海外の文化への眼差しとなって、現れているのだと思う。

 

というわけで、この頃はウェブログに、海外の大衆文化やピエロに溢れた記事ばかりアップしているが、実は基本的には一日の九割方を、こんな風なことを考えて生きていると言っても過言ではないのである。

 

最後になったが、『YOKAINOSHIMA』の写真の一部はウェブサイトで存分に堪能できるので、興味のある方は訪れていただきたい。もっともっと堪能したければ、すべての写真を収めた写真集も発売されているので、手元においてもいいかもしれない。

 

YOKAINOSHIMA

YOKAI NO SHIMA (ヨウカイノシマ)

 

Yokainoshima | Charles Fréger

 

ぼくが一番好きな写真はこれ、おそらくはトカラ列島とか、あっちの方じゃないのかと思うけれど、もはや南方。日本にもまだまだ山ほど、おもしろいことあるよなあと感じる。

 

YOKAINOSHIMA

image source : Charles Fréger | Portraits Photographiques et Uniformes

 

YOKAI NO SHIMA (ヨウカイノシマ)

YOKAI NO SHIMA (ヨウカイノシマ)

 
WILDER MANN (ワイルドマン)

WILDER MANN (ワイルドマン)

 

 

 

 

 

月白貉