ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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スーパーでジャンクなロールケーキを買った夕暮れと、恋する日記。

もうずいぶん昔の話だけれど、初めて付き合った女性にふられてしまって、でも諦めきれなくて、彼女の住む街の駅まで会いに行ったんだ。

 

「駅で待ってるから、」ってメールだけを送って、なんのあてもなく、きてくれるあてもないのに、その駅で何時間も待った。メールの返信はなかった。

 

すっごく寒い冬の日だった。彼女とその駅で待ち合わせたことはなく、まったく見ず知らずの景色が、ぼくの目の前で何時間も何時間も流れていた。

 

そして、結局、その日彼女と会うことは出来なくて、それ以来いっさい連絡もないまま、今に至る。

 

あの日、諦めて家に帰るためにホームに降りた夕暮れ時に、雪が降ってきた。

 

あの時の、駅のホームから眺めていた雪の降る景色、多少色あせはしているけれど、いまでも、ある程度鮮明に覚えている。 その瞬間、ぼくの数少ない信頼すべき人に、おそらくは友人と呼べるその人に短いメールを送ったことも覚えている。

 

「彼女にふられちゃいました、いま雪が降っています、どうしたらいいんでしょうか?」

 

たぶん、そんな、くだらない内容だったと思う。 それが雪ではなく、涙みたいに流れ去る雨だったらよかったのに、それは降り積もる雪だったんだ。

 

あの頃、おれは恋人を失うと同時に、勤めていた会社が潰れてリストラされ仕事も失って、さらに一週間くらい原因不明の高熱が出て、病院で何度も点滴を打たれた。点滴を打つたびに熱は下がるが、横になったベッドが汗でびしょ濡れになった。そのことになんだか大きな罪悪感を感じた。

 

あの時期の記憶、ほんとうの現実だったのかなって、夢みたいに思えるんだ。 もちろん最上級の悪夢だった。

 

昔のことをよく覚えていない。誰しもあることかもしれないけれど、おれは大部分の記憶が、あまりない気がする。もしかしたらとんでもなく辛いことが多かったのかな。だから、そういうことをかき消す術を身につけてしまったのかな。

 

苦悩と対峙することは、大切なことだと思うが、それはしんどい。だが、しんどいが、割と好きでもある。でも、とんでもなく、しんどいことにかわりはない。

 

おれは、欲のありどころが、多くの人とはたぶんちょっと違うんだろう。

 

きょうの一番印象的な出来事を最後に。

 

スーパーのレジで会計中になぜが意識がどこかにぶっ飛んでいる最中、新人らしきレジのスタッフの若い女の子がわけのわからないミスをして、300円ちょっとの会計が一万円を越していた。彼女はすぐに「すみません・・・」と言いながらレジを打ち直していた。意識が飛んでいたから、特にそのことに何も感じなかったが、 ただ、最後にお釣りを渡してくれた彼女の手が、ものすごく温かかった。ちょっと恋をするんじゃないのかってほど、温かかった。

 

日常って、いったいなにかな。

 

 

月白貉