ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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その老婆は道化ではなく賢者である、そしてサングラスの下には涙を湛えている日記。

散策の途中で農作業をしているおばあちゃんと出会う。

 

マトリックスばりのグラサンをかけて農作業をするハイパーなおばあちゃん。

 

「これを持っていきんさい!」と、土の中から掘り起こしたお茶をもらう。ハイパー。おばあちゃんの飲むのがなくなりますよ!というと、「わたしの家はあそこだから大丈夫!」と。指差した先はすごいお屋敷。「いつでもいいから遊びにきてね!」と言われる。

 

お気に入りのヤギ皮の財布がずいぶんぶっ壊れてきた。いい感じに使い込んだからもっと使いたいんだけどなあ。とある知人にぼくの財布を見せると、「まだこれからでしょ!」と言われる。

 

母から四年ぶりくらいにメールが届いた。「幸せに暮らせるようにいつも祈っています。」と、言葉少なくそう書いてあった。祈ってくれていることは知っているよ、もちろん知っている。

 

昼過ぎ時。どこかでごはんをと思い見つけた海辺の食堂。ビビビときた感じはやはり。美人で素敵な若女将が笑顔でむかえてくれる家族経営の漁港の食堂。店内にはダルマストーブ。日替わり定食を注文すると、キラキラ輝く魅力的な定食が運ばれてくる。ぼくの日替わり定食史上でトップに躍り出る勢い。イカの刺身と沢山のおかず盛り合わせ、魚のすり身が入ったお味噌汁に沢庵。そして山盛りごはん。食べきれないくらいあっておなかがはちきれた。最強。カウンターでは漁師さんが一杯ひっかけていて、「金がないから銀行強盗でもしたいけれど、銀行がない。」と言ってうなだれていた。

 

久しぶりに見返した映画の中にこんな台詞が出てくる。

 

I heard a joke once.

Man goes to a doctor, says he's depressed.

Life seems harsh and cruel.

Says he feels all alone in a threatening world.

Doctor says, "the treatment is simple. The great clown Pagliacci is in town tonight. Go and see him. That should pick you up."

The man bursts into tears.

"But doctor, " he says.

"I am Pagliacci."

Good joke. Everybody laugh.

 

その老婆は道化ではなく賢者である、そしてサングラスの下には涙を湛えている日記。

 

この場面を観るたびに、この台詞が頭をぐるぐる回る。

 

いろんなことに対して、超絶真剣にあれこれ考えすぎるのが悪い癖でもあり、それがぼくのよい所でもあるってこと。ちょっとだけワイン飲んで、荒ぶり高ぶる気分をゆるめたので、気分を切り替える。

 

理解してくれない人に、理解してもらおうとはまったく思わない。理解してくれる人に、理解してもらいたいと思うのだ。

 

いままでずいぶんといろんな崩壊を経験してきた。そう、結局そういうことが経験値なのだと思う。崩れ壊れゆくものに対して、自分の体を呈して必死でもがくのだ。その半ば決定的な崩壊、もう止められないことなど知っているけれど、もがくのだよ。不安とか恐怖とか涙に押し流されそうになりながらも、もがくのだよ。

 

おやすみなさい。

 

 

 

以下には、恐い日記もあるよ。

 

恐怖日記: パラノーマルなニオイの謎と、本当は恐いパラノイア臭の関係性。

恐怖日記クローゼットにはヒトオトシサマがいる、本当は恐い忘れられたフォークロア。

恐怖日記風呂場から聞こえる不可思議な音が、本当は恐いヤミゴラの入り口な可能性。 

恐怖日記: 空間の温度変化で、そこに何かがいることを知る。

 


月白貉