ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

follow us in feedly

島根県の海で遊ぶ際に知っておきたい三つの怪異 -「濡れ女」(ぬれおんな)-

ぼくの故郷には海も山もない。

 

実家のある場所から遥か彼方、県境まで行けばかろうじて山々が連なるが、日常的な暮らしの中で望めるのは、青白い影のように浮かび上がる手も足も届かない山の姿だけだった。

 

まだ若かりし頃、山は見えるのだから自転車を使えば案外すぐにたどり着くのじゃないのかと考え、早朝からママチャリをかっ飛ばして彼方の青々とした山を目指したことがあったが、山はどこまで行っても逃げ水のようにその先にあり、結局三四時間猛烈に走り続けてから、泣く泣く諦めたことがあった。

 

海に関して言えば全く縁遠いもので、大きな水辺といえば、海とはまったく趣の異なるものだが、近所に流れるわりと幅の広い川が唯一のそれであった。

 

まあ、その川だって遙かなる場所でいずれは海につながっているのだから、前述の遥かに望む山々と似たようなものかもしれないが、いずれにせよやはり海も、おいそれとは手も足も届かない場所だった。

 

そんな環境だから、子供の頃には、自然に対する畏敬の念のようなものはあまり感じることなく過ごしてきたに違いない。例えば山間部や海辺で幼いころを過ごした人々の持っているような感覚は、まったくの皆無ではなかったにせよ、大して培われなかったのではないだろうか。

 

そしてもちろん、ぼくが幼い頃に感じていた妖怪に関しても、そういった海や山のような特殊な場所でのものとは、ずいぶんと規模の違うものだったのではなかろうかと、今にしてそう感じる。

 

昔から海や山というのは人々の住めない特殊な場所であり、いわば異界である。

 

妖怪や怪異、あるいは神のようなものの存在は、大抵は深山だったり海の向こうや海の底だったりにいて、時々は山を下りてきたり、海辺に現れたりして、人々に崇め恐れられることとなる。

 

ぼくの今の拠点となっている島根県は、そういった意味では非常に興味深い場所である。なぜなら、ママチャリをかっ飛ばさず自らの足だけでも、当然、海も山もあっという間に届き得る目と鼻の先に存在するからである。

 

もちろん日本という国は大海に浮かぶ小さな島であるし、その島には大小様々な山々がひしめき合っているのだから、島根県に限らず、そのほとんどの場所は異界とすぐ隣り合わせ、異界天国とでも言うべき国かもしれない。

 

さて、前回は島根県の妖怪の代表格、「牛鬼」に関して細々な雑談を展開したわけであるが、今回はその中で少しだけ触れた、また別の海にまつわる妖怪の話をしたいと思う。

 

ちなみに「牛鬼」に関してのことが気になってどうしようもない方は、以下にその話の道程を標すので、読んでいただけると幸いである。

 

 

そんなわけで、今回のお題は「濡れ女」(ぬれおんな)である。 

 

「濡れ女」、別名を「濡れ嫁女」(ぬれよめじょ)とも呼ばれるこの妖怪、牛鬼同様に妖怪に興味のない方でも名前を耳にする機会は多いのではないかと思う。もちろん、妖怪漫画の至宝、水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』にも確か鬼太郎の味方側として登場しているはずである。(蔵書が遠方にあるため、いまは確かめることが出来ないが)

 

濡れ女は特に九州地方に伝承の多いとされる妖怪で、名の由来は常に体や髪が濡れているという言い伝えに基づくとされる。

 

いわゆる海の怪の類で、「磯女」(いそおんな)や「海女房」(うみにょうぼう)などと同様の怪異に分類される。ちなみに海女房に関しては島根県で言うと出雲地方にその伝承を見ることが出来る。

 

江戸時代の妖怪画や妖怪絵巻などでは、蛇の体を持つ女性の妖怪として描かれていることが多く、かの鳥山石燕が『画図百鬼夜行』に描いている「濡女」なる画も蛇のような細長い容姿をしており、口からは蛇のような長細い舌をヒョロヒョロと伸ばしている。また鳥山石燕の描く濡女には蛇体に二本の腕が生えている。

 

鳥山石燕 画図百鬼夜行全画集 (角川文庫ソフィア)

鳥山石燕 画図百鬼夜行全画集 (角川文庫ソフィア)

 
画図百鬼夜行

画図百鬼夜行

 

 

ただ伝承として濡れ女が蛇体であると記述されているものは確認されていないため、この容姿に関しては江戸期の絵師たちによる娯楽性あるいは恐怖性を踏まえた創作ではないのだろうかと考えられる。

 

By Sawaki Sūshi (佐脇嵩之, Japanase, *1707, †1772) (scanned from ISBN 978-4-336-04187-6.) [Public domain], via Wikimedia Commons

 

「牛鬼」の回でもお話したが、島根県の石見地方では、濡れ女は牛鬼の斥候としての役割をもつ妖怪として伝えられている。

 

詳細に関しては前述した牛鬼の回をご覧頂きたいが、その際には必ず赤子を抱きかかえて現れることを特徴としている。これは出雲地方で語られる海女房も同様である。また濡れ女は牛鬼と同一の怪異、牛鬼の化身であるとの話もあり、島根県の現在の大田市に残る伝承では、濡れ女に赤子を預けられた男が、例のコンビネーション攻撃で牛鬼に襲われ、その時にはどうにか逃げ切ったのだが、その後に響いてきた牛鬼の「残念だ、残念だ」という声が、男に赤子を預けた女、つまり濡れ女と同じ声であったという。

 

この濡れ女の抱きかかえている赤子であるが、人が抱くと石化して重くなり体に引っ付いて離れなくなるという特殊能力から考えると、この赤子自体も単独での怪異として捉えることが出来る。例えば「子泣き爺」(こなきじじい)と呼ばれる『ゲゲゲの鬼太郎』でもおなじみの妖怪だったり、あるいは徳島県に伝わる「オッパショ石」(おっぱしょいし)や「ウバリオン」、ぼく自身が幼い頃に聞かされた「バイロン化物」(ばいろんばけもの)などの怪異と同類のものであろう。

 

また、夏目漱石の『夢十夜』、第三夜の中にも、背中に背負った子供が石地蔵のように重くなるという妖怪めいた話が出てくる。

 

夢十夜

夢十夜

 
ユメ十夜 [DVD]

ユメ十夜 [DVD]

 

 

つまりこの赤子をひとつの妖怪だと考えると、石見地方の海岸で起こるコンビネーション怪異は、牛鬼と濡れ女だけではなく、さらに赤子の妖怪を加えたトリプル攻撃の怪異ということになる。なんとも恐ろしいことだ。

 

さらに赤子を抱えた女の妖怪という視点から見てみると、濡れ女はいわゆる「産女」(うぶめ)に類する怪異でもある。

 

「産女」、もしくは「姑獲鳥」(うぶめ)とは、お産で死んだ妊婦の亡魂が引き起こす怪異だといわれるものであるが、詳細を話しだすと長くなるため、産女に関してはまた別の機会に譲りたい。

 

まあそんなこんなで、島根県、特に石見地方の海をおとずれる際には、濡れ女の切り込みから始まる妖怪のトリプル怪異攻撃に十分な注意を払っていただきたいというのが、今回の話のもっとも重要なポイントである。夜の海に行く際には、必ず石化赤子対策として、ぜひ重厚な手袋の着用を忘れぬようにしていただきたいものである。

 

さて最後に少しだけ、この濡れ女、地域によってはウミヘビの化身だとされる伝承もあるそうなのだが、そのことを知ってとある漫画を思い出した。

 

諸星大二郎の漫画『妖怪ハンター』の中で語られている名作「海竜祭の夜」という話である。 

 

海竜祭の夜―妖怪ハンター (Jump super ace)

海竜祭の夜―妖怪ハンター (Jump super ace)

 
妖怪ハンター 水の巻 (集英社文庫―コミック版)

妖怪ハンター 水の巻 (集英社文庫―コミック版)

 

 

内容の詳細はここではあえて控えるので、興味がある方はぜひ読んでいただきたいのだが、この話の中に出てくる怪異が濡れ女の類ではないのかと個人的には感じている。怪異の起こる場所は漫画の中では「加美島」と呼ばれる離島で、名前からすると瀬戸内海に位置する「下加美島」との関わりを想像したのだが、登場人物の方言からするとどうも九州地方のどこかではないのかと考えられる。

 

ちなみにこの話には『平家物語』と、そして壇ノ浦で入水して死んだ安徳天皇が深く関わってくるので、やはり九州地方、北九州にあるかもしれないどこかの島での話であろう。

 

まあそんなわけで、妖怪の話は突っ込みだすときりがないなあと思いつつ、今回はこれにて。

 

 

 

図説 日本妖怪大全 (講談社+α文庫)

図説 日本妖怪大全 (講談社+α文庫)

 
全国妖怪事典 (小学館ライブラリー)

全国妖怪事典 (小学館ライブラリー)

 

 

 

 月白貉