ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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みるみるうちに背が伸びる!至高の妖怪体験を追う -「次第高」(しだいだか)-

山は妖怪や怪異の宝庫である。

 

ぼくはかつて埼玉県の秩父市にある武甲山で妖怪に出会し、危うく遭難しかけたことがある。

 

その時に出会したのはおそらくは「餓鬼憑き」(がきつき)、西日本で言うところの「ヒダル神」(ひだるがみ)であったと確信している。

 

餓鬼憑きというのは日本各地に伝わる憑物のひとつで、読んで字の如くだが、山道などを歩いている時に餓鬼に取り憑かれてしまい激しい空腹感に襲われ、その場から一歩も動けなくなってしまうという恐ろしい怪異である。

 

「餓鬼」というのは地獄絵図などでもお馴染みのガリガリに痩せていて下腹だけがボコンと飛び出ている例のアレだが、地獄だけでなく路傍にもさまよっていて、まあ亡魂のようなものであるが、それが人に取り憑くこともある。

 

西日本に伝承の多いヒダル神も餓鬼憑きと同種のもので、こちらは「行逢神」(いきあいがみ)の一種だとされている。

 

地域によっては「ダラシ」、「ダリ」、「ダル」などと呼ばれる場合もある。この行逢神とは、例えば山中や路傍などで人や動物に行きあって、災いを成すとされる神霊のことであり、行逢神の怪異とされる話は全国的に見ることができるが、とりわけ中国地方と四国に多いとされている。「ミサキ」などと呼ばれるものはその代表格であろう。ちなみにミサキとは「御先」を由来とする名称である。

 

序なので、武甲山でのぼくの妖怪遭遇に少しだけ触れておくと、武甲山周辺の散策路を歩いていた時に、道を間違えて武甲山裏参道武甲山の頂上には神様を祀る祠がある)を登り始めてしまっていた。その日は登山目的ではなく軽い散策を想定していたので、もちろん随分と軽装備だった。しばらくしてやけに道が険しいので、うっかり道を間違えたことに気が付いて元来た道に戻ろうとした頃にはもう日が暮れかけていた。

 

すると突然、急な坂道の途中でどうにもこうにも体が動かなくなってしまった。

 

空腹感が襲ってくる感じはなかったのだが、その場にへたり込んでしまって足が一歩も前に出せず、異様な金縛りのような感覚だった。餓鬼憑き、あるいはヒダル神のことを知っていたぼくは咄嗟に、これは何か食べなければいけないぞ!と思い立ち必死でバックパックを探ると、運良く別の日に買って出し忘れていたチョコレートの欠片が手に当たり、必死でそのチョコレートを貪り食うと、いっきに体が軽くなって動けるようになった。

 

その瞬間に周囲からおびただしい数のシカの鳴き声のようなものが響き始めたので、恐ろしくなって急いでその山道を後にしたのだった。

 

餓鬼憑きやヒダル神にやられた時の対処法としては、まず何か食べ物を口に入れることだと言われている。もし万が一にも食べ物を持っていなかった場合には、掌に「米」という文字を書いて、それを三回なめるとよいとも言われているが、当時のぼくはそのことを知らなかったので、もしあのチョコレートの欠片がなければ、あそこで死んでいたかもしれない。

 

もしかしたらこの餓鬼憑き、「おれも!おれも!」といった具合に同じような経験したことがある方もいるかもしれない。

 

かの南方熊楠も餓鬼憑き経験者のようで、以下の様なことを言っている。

 

予、明治三十四年より二年半ばかり、那智山麓におり、雲取をも歩いたが、いわゆる“餓鬼”につかれたことがあり・・・

 

さて、前置きが長くなったが、今回の妖怪はこの餓鬼憑きではなく、島根県大田市にある三瓶山周辺に伝わる山の怪異、「次第高」(しだいだか)である。

 

島根県大田市に住むとある古老によれば、以下の様なものである。

 

三瓶山へ行く途中ですが、「しだいだかっちゅうもんが出るげな。恐ろしいけ、用心せにゃあ。」ちゅうこと聞いちょうます。しだいだかちゅうもんは、背え、ずんずんずんずん高うなる。「ははあ。」って、のって見ると、みるみるうちにまくれますげでね。そうするとそこへしだいだかちゅうもんが、上からのしかかって、へから、つかまえるて。

 

話にあるように、この次第高は路上に現れる妖怪であり、その姿は人型であったり、あるいは真っ黒い影のようなものであったりするという。出会った人が上を見上げれば見上げるほど次第高の背がずんずんと高くなる。逆に見下ろせば低くなるそうだが、見下ろさない限りはいくらでも高くなってゆき、終いには上からのしかかられて包み込まれてしまうという怪異である。

 

同じ三瓶山には「次第坂」(しだいざか)という似通った名前の同種の怪異もあると言われているが、これはおそらくは次第高の言い伝えが、口伝の途中で変形してしまった結果だと考えられる。

 

さて、この次第高は怪異の特徴からすると「高入道」(たかにゅうどう)あるいは「見越し入道」(みこしにゅうどう)と同類の妖怪だと考えられる。

 

By Toriyama Sekien (鳥山石燕, Japanese, *1712, †1788) (scanned from ISBN 4-0440-5101-1.) [Public domain], via Wikimedia Commons

 

このような怪異は全国的に見られるもので、地域によっては「入道坊主」や「伸上り」など様々な名称で呼ばれている。

 

島根県の次第高に関して言うと、江津市の伝承では次第高は大きく育った古い榎の木に住む化物だと言われていて、木の陰から不定形な影のようなものがスポっと現れて、はじめは人間よりもちょっとだけ背が高いくらいのものだが、見上げれば見上げるほどに背が高くなり、最後には風呂敷でもかぶされるようにすっぽりと包まれてしまうという。

 

また出雲市の話では、小玉さんの家の裏の竹藪によく出たそうで・・・小玉さんがどこの小玉さんであるかは定かではないが・・・どうやらその正体は狐だか河童だかだと言われていたそうである。

 

この種類の妖怪の正体は大抵は狐か狸、あるいは獺だと言われていて、珍しいものだとスッポンがその正体だと言われるものもある。

 

四国ではこの背の伸びる入道妖怪に化けた狸が漁師に相撲を挑んでくることがよくあるという伝承があり、狸が化けた妖怪との相撲に漁師が勝ってしまうと、狸が機嫌を損ねるのか、大風が吹いたり大雨が降ったりして魚が取れなくなるので、わざと負けてやると必ず大漁になるという。

 

四国の漁師の間では、大入道に相撲の勝負を挑まれた場合には、わざと上手に負けてやるのが常識になっていたそうである。

 

昔の人は妖怪というものとの付き合い方をよく知っていたのであろう。ただ単に恐ろしいものだったり悪いものだったりするだけではなく、付き合い方によって、あるいは場合によっては神にも仏にもなりうる存在、かつては人々がもっときちんとそういう理解を持っていたからこそ、いきいきとした生々しい妖怪が、そこにあったのかもしれない。

 

まあぼく自身は、いまでもそういった理解を持って妖怪と接しているはずだと自負してはいるし、ときどき奇妙な妖怪めいたことに遭遇するのも、そのためかもしれないと思っている。

 

ちなみにこれは島根県の次第高ではないのだが、大阪には明治十五年まで高入道とよばれるこの背の伸びる入道妖怪が出没していたと言われていて、知らぬものはいないほど有名な妖怪だったそうである。

 

大阪という土地は日本の中でも、人々の意識が他とはちょっと違っていることで知られているから、あるいはそれが妖怪がリアルに生きながらえていた理由なのかもしれない。そして、おそらくいまでも見えていない人が多いだけで、日本中のいたるところには魑魅魍魎やら妖怪の類が跋扈しているに違いないのである。

 

まあぼくは見えている側なので、そんなことは百も承知ですがね、ひひひ。

 

といったところで、今回はこれにてお開き。

 

 

 

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