ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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アカヤツデ(赤八手)【其の弐】 - 『新日本妖怪事典』 -

出雲松江藩主が松平直政の頃、松江城を取り囲む内堀や外堀に「アカヤツデ(赤八手)」と呼ばれる蛸のような化け物が出たという。

 

ある時、松江藩の御鷹方を勤めていた加藤某というものが、まだ夜も明け切らぬ頃に霧の舞う内堀沿いを城に向かって歩いていると、内堀の水の中から大きな蛇のようなものが這い上がってきて加藤の足に絡みつき、ものすごい力で水の中へ引きずり込もうとした。

 

加藤がすかさず腰の刀を抜いて一刀のもとにそれを切り落とすと、霧に煙る内堀から大きな水音が立ち上って巨大な坊主頭のような影が姿を現した。そして先ほどと同じ蛇のようなものが今度は何匹も足元に這い上がってきた。

 

加藤が「おのれ化け物め!」と言って気を発し刀を上段に身構えると、不意に背後から鷹の鳴き声が上がり、見たこともないような大きさの鷹が目の前に舞い降りてきたかと思うと、化け物の影目掛けて飛びかかっていった。すると再び大きな水音が立ち上がり、無数の蛇も巨大な影も姿を消してしまった。

 

加藤が足元に目をやってみると、そこにはボツボツと吸盤がついた赤黒い蛸の足の切れ端が落ちていたという。(黒酒宙『松江藩城下町異聞』其参)

 

一説によればこのアカヤツデという妖怪は、同山陰地方のふたつの入海(現在の中海と宍道湖)に住む「イリウミヌシ(入海主)」と呼ばれる海神が妖怪化したものだと言われている。

 

松江藩では松江城の築城にあたって、かつて土地の大部分を占めていた入海の一部や水辺を、山を切り崩した土を使ってずいぶん埋め立てており、そのことが入海の守り神であるイリウミヌシの怒りに触れたという話がある。その後から、入海にも通じている松江城下の堀では、霧の濃い日の早朝や夕暮れ時、あるいは夜分になると、巨大な坊主頭の影や蛸のような姿をした化け物が頻繁に目撃されるようになり、城下の人々はアカヤツデとか「カゲヤツデ(影八手)」と呼んでそれを恐れたという。

 

入海の主としてのアカヤツデは人に危害を加えることは滅多になかったというが、松江城下の堀に出るアカヤツデはよく水の中に人を引きずり込んだ。その頃に起こった松江城下の堀での水難事故の多くがアカヤツデの仕業だと言われたのはその為である。中にはアカヤツデは巨大な蛸で、時々その蛸が陸に上がってきては人を襲って喰ったとする話もある。

 

かつて入海と呼ばれた現在の中海には「大根島」と「江島」という島がある。

 

八世紀中葉に成立した『出雲国風土記』には、大根島が「転菟(たこ)島」、江島が「蜈蚣(むかで)島」と記されおり、転菟島というのは、出雲郡の杵築の御埼(日御碕)にいた蛸を「天の羽合鷲(あめのあわひわし)」がさらって持ってきて、この島に留まったことに由来すると記されている。入海に住むというアカヤツデは巨大な蛸の姿だとも言われていること、また前述の松江藩の御鷹方である加藤某を助けた巨大な鷹の話は、あるいはこの風土記の蛸伝承と関わりがあるのかもしれない。ちなみに蜈蚣島は、天の羽合鷲に連れてこられたこの蛸が、今度は蜈蚣をくわえてきてここに留まったことに由来するとされている。

 

また、この松江城下のアカヤツデは、松江藩の小池某という豪胆な藩士によって退治されたという話がある。

 

この松江藩の小池は別の妖怪話にも登場してくる人物で、ある時、小池は狩りの際に山中で出会った美しい女に、実家の姑にひどい仕打ちを受けているから逃げてきたので女中でも何でもいいから家に置いてくれと頼まれ、仕方なく連れて帰り、後にこの女を娶って妻とし一女をもうける。しかし妻の正体は山の神の類で、そのことを小池に知られた妻は娘を残して山に帰ってしまう。ところがこの山の神との間に授かった娘がとんでもない怪力の持ち主で、城下では人間ではないとの噂が立ったという話がある。

 

実はこの娘こそが、以前に触れた妖怪「小池婆」の話の中における「小池婆タイプC - 小池左馬八郎型 -」に出てくる老婆だとされている。

 

 

また一方で、小池に退治されたアカヤツデが堀沿いの巨大な松に姿を変えたという話もあり、その松にまつわる妖しげな噂も語られている。

 

そして今でも内堀のとある場所に現存しているその松こそ、こちらも以前に触れている怪異譚、ラフカディオ・ハーンが「ギロチン松」だとも書き残している「首切松」なのである。

 

 

地域の中の妖怪を掘り下げてゆくと、一見別々のものに思える事柄が、実は水面下の深いところで複雑に絡み合っていて、元をたどれば大本の謎めいた巨大な核に繋がっているような気がしてならない。足元に伸びてきた不気味な触手を追って行き着いたのは、湖底の穴蔵に潜む大蛸だったというような、まさにアカヤツデのような話である。なんとも、「新日本妖怪事典」一番手の妖怪にはもってこいの〆になったようだ。

 

さて最後に、かつて神として崇められていた存在から、一転して人々を襲う化け物へと変貌を遂げるアカヤツデの姿には、人間の精神の衰退の様が反映しているように思われてならないというのが、正直なところである。

 

ちなみにこのアカヤツデ、小池に退治されたと言われた後にも見たという話は絶えず、近年においても松江城下の堀でこの妖怪を見たという話もあるくらいなので、松江を訪れる際には十分にお気をつけいただきたい。

 

なにせ入海は二つある。その一方の主が退治されたという話はあるが、もう一方が退治されたという話は、いまだないようであるから。

 

アカヤツデ(赤八手)【其の弐】 - 『新日本妖怪事典』 -

 

 

 

 

月白貉