ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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謎の妖怪「サメ」を追え! 島根県隠岐郡都万村に伝わる動物怪異考 -「サメ」- 第三回

島根県隠岐郡都万村に伝わるサメという謎の妖怪の考察、第三回である。

※妖怪としてのサメは、魚類やその他の語句としてのサメと区別して赤字で「サメ」と表記する。

 

これまでの話は、まあ読まなくてもいいかもしれないが、暇と時間を持て余している方のために、以下にその道程を標す。

 

 

前回は、どうやら中国には鹿沙あるいは白沙という名のサメがいて、それが鹿に変化するという言い伝えがあることに話が及んだので、そこから再開してゆこう。

 

さて、この鹿沙あるいは白沙についてもう少し何か情報はないものかと色々調べてはみたのだが、残念ながら背中の文様と鹿に変化するということ以外はよくわからなかった。このことが記述されている『本草綱目』にはサメの名前としてさらに虎沙、胡沙というものが記されていて、こちらは背に虎に似た斑紋があり、虎魚が変化したものだというが、こちらはサメとの関連性は希薄であるように感じる。虎魚とはおそらくは現在で言うところのオコゼのことだと思う。

 

では、せっかく掘り起こしたキーワードである「鹿」の線から、都万村のサメとの関連性を少し考えてみよう。

 

まずサメの伝承が残る都万村の生態系に何か関連性はないだろうかという点である。つまりは都万村のあった土地に鹿は生息しているのか否かということに着目してみたい。

 

この都万村とはかつて島県隠岐郡にあり、隠岐諸島の中で最も大きな島である島後の南西部に位置していた村である。

 

島後に生息する動物についてであるが、南方系のものと北方系のものが併存する独自の生態系となっており、島の孤立性による生活環境の違いから、本土で生息が確認されている一般的な動物、例えば熊や鹿、狸や狐の類は一切生息していないということである。ただこの地には「オキノウサギ」や「オキサンショウウオ」、「オキマイマイ」などといった隠岐だけの固有種が存在しているという。

 

魚類のサメから派生した鹿というキーワードから考えると、あるいは都万村のサメとは神格化された鹿のような存在ではないのかと想像したが、鹿の生息しない土地にあって、鹿が神格化あるいは妖怪化されることはなかなか難しいように考えられる。ただ一方では鹿がいないことによって、未知の存在が様々な伝承と相まってその地に生息しない鹿というものに結び付けられるようなことはあるかもしれない。

 

同じ中国地方、広島県にある厳島では昔から鹿が神の使いである「神鹿」だとして神獣視されていることはよく知られている。

 

この鹿の神格化は奈良の春日大社の影響によるものであるが、厳島の鹿自体はずいぶん古くから生息していたと考えられている。余談ではあるが、第二次世界大戦後に厳島を接収したGHQの兵士が、厳島の鹿をハンティングの対象として撃っていたために激減したとの話がある。そのため現在島にいる鹿はGHQ撤退後に奈良から人為的に連れてこられたものの子孫が含まれているという。

 

中国では鹿は非常に長寿な動物だとされていて、年とともに色が変わるという俗信もあった。

 

『述異記』には、「鹿は千歳にして蒼となり、また五百歳にして白となり、また五百歳にして玄となる。玄鹿は骨もまた黒い。これを脯にして食えば長寿する。」と記されている。「脯(ほ)」というのは干し肉のことである。また鹿は肉だけに限らずその角も珍重され、薬や強精剤などに多く活用されている。こういったことから日本でも鹿の肉は滋養強壮の薬として広く食されていたが、『本朝食鑑』には、鹿の肉を好んで食べるとやがて歯茎がただれ、歯が全て抜け落ちてしまうと記されている。何やら妖怪めいた話である。

 

中国古典文学大系 (42)

中国古典文学大系 (42)

 
本朝食鑑 上 (覆刻日本古典全集)

本朝食鑑 上 (覆刻日本古典全集)

 

 

もしかすると、鹿の生息しない隠岐にあっても、食として、あるいは薬としての鹿の肉や角は伝わっていたかもしれない。それが複雑に絡み合って、先に述べた鹿沙の話や神獣としての鹿と混ざり合って、山奥の不気味で目に見えぬ存在がサメと呼ばれる怪異と化したことも、可能性としてはありえなくもない、もちろん大いに推測の域ではあるが。

 

ではここでさらに、中国以外の地からの伝播についての可能性も考えてみよう。

 

ヨーロッパでのサメの呼び名、特にその中でも獣に関わるものに着目して調べてみると、まずツノザメの一種で、海底の砂泥に体を埋める習性を持つサメのことを漁師たちが「sea-hog」つまり「海猪」と呼んでいたというものがある。またフランス語でサメを表す「ルカン(requin)」は一説にはレクイエム(requiem)と同じ語源で「死後の静寂」を意味すると言われているが、ノルマンディー地方で「犬」を指し示す「quien」に由来するとの話もある。

 

猪にしても犬にしても、日本においては古くから神、あるいは妖怪や怪異としての側面を持つ動物である。

 

この二種類の動物から何かヒントは見いだせないものかと思い、さらに猪と犬に絞ってあたってみると、猪についていくつか気になる話があったので、ここで触れてみよう。

 

三吉朋十の『南洋動物誌』によれば、南米のインディオは部族によっては豚や猪を食べることをひどく嫌っているのだが、理由はと言えば、それらの肉を食べると目がどんどん小さくなっていってしまい、終いにはなくなってしまうと言われているからだという。これは和名のサメの語源だとされている「狭眼」あるいは「小眼」、つまり眼の小さな生物だという話との関連性が朧気にうかがえる。

 

南洋動物誌 (1942年)

南洋動物誌 (1942年)

 
語源辞典東雅 (1983年)

語源辞典東雅 (1983年)

 

 

猪に関する怪しげな話をもうひとつ。台湾の先住民族の中で山地に住む民(日本人によって後に「高砂族」と分類された人々)の猟師たちは、猪の耳を食べると狩りに出た時に猪に足音を聞きつけられると言って決して口にはしなかったという。都万村のサメとの直接的な繋がりは見いだせないが、隠岐も台湾と同じく島であるということ、またサメの記述で、姿は見えないが気配を感じるという話などは、この猪の耳の話と重なる部分があるように思われて興味深い。

 

さて、日本における猪の事柄に触れると、日本人はずいぶんと古くから猪を食用として飼育していたらしく、その歴史は縄文時代にまでさかのぼるという。

 

大和朝廷には猪を飼養する猪飼部なるものがあり、古くから天皇や貴族が猪の肉を食していたことがわかるという。また江戸時代にも、京都では「山鯨」、江戸では「モモンジイ」や「モモンガア」などと呼ばれて盛んに食べられていた。この呼び名は、当時は四足の獣を食べることが一般には忌まれていたため、鯨やモモンガの名があてられていたという。

 

ぼく自身、島根県にやってきてから野生の猪の肉は何度も食べているが、島根県の一部の地域では今でも山鯨という呼び名を使っている。また現在の東京、浅草周辺の散策時にも「ももんじや」なる飲食店を見かけたことがあり、店の入口の脇には巨大な猪が逆さに吊り下げられていた。

 

江戸期にモモンジイと呼ばれたものは、鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』の中にも妖怪として描かれており、以下の様な解説が付けられている。

 

今昔画図続百鬼

今昔画図続百鬼

 
日本の妖怪完全ビジュアルガイド

日本の妖怪完全ビジュアルガイド

 

 

百々爺未詳 愚按ずるに 山東に摸捫ぐはと称するもの 一名野襖ともいふとぞ 京師の人小児を怖しめて啼を止むるに元興寺といふ もゝんぐはとがごしとふたつのものを合せてもゝんぢいといふ

 

原野夜ふけてゆきゝたえ きりとぢ風すごきとき 老夫と化して出て遊ぶ 行旅の人これに遭へばかならず病むといへり

 

By Toriyama Sekien (鳥山石燕, Japanese, *1712, †1788) (scanned from ISBN 4-336-03386-2.) [Public domain], via Wikimedia Commons

 

モモンジイとは前述したようにモモンガの異称でもあるのだが、同時に関東地方で化け物を意味する幼児語だともされている。鳥山石燕の解説では「野襖」ともいうと記されているこの野襖も一種の妖怪だと言われているが、モモンガやムササビの異称として用いられることもある。また同じく解説中に「元興寺」なるものが出てくる。「がごじ」、あるいは「ぐわごぜ」などと呼ばれるこちらも妖怪の一種で、関東とはまた別の地域で化け物を意味する幼児語だともされているが、柳田國男はこの説を否定していて、がごぜとは化け物が「咬もうぞ」と言いながら現れることに起因すると言っている。

 

さて、鹿に変化する鹿沙と呼ばれるサメに始まり、英語で海猪と呼ばれるサメ、フランス語でサメを意味するルカンの由来だとされる犬、そこを経由してのモモンジイという化け物の存在、さらには現在の島根県でも使われている山鯨という猪の呼び名にまで話が及んだ今回。海の魚類であるサメからアプローチをはじめて、山間部の獣たちを経ての人型の妖怪、そして再び鯨という海のものに至り、放ったブーメランは強引にではあるが何とか手元に戻ってきた感触はある。すべて直接的ではないにせよ、徐々に都万村の妖怪であるサメの姿が形作られてきたように、ぼく個人としては強く感じているのだが、いかがだろうか。

 

魚類としてのサメという名称から派生した獣の存在である鹿、猪、犬というものから、今の段階でぼくが勝手に想像している妖怪サメの存在はと言えば、やはり神格化された四足獣のようなものではないのかということである。お気付きの方もいるかもしれないが、宮﨑駿の代表作「もののけ姫」の中には獣の姿をした太古の神々が登場してくる。

 

「シシ神」と呼ばれる神鹿のような存在、鎮西(九州)から海を越えてやって来る猪神の「乙事主」、そして巨大な体と白い毛を持つ犬神「モロ」。

 

もののけ姫 [Blu-ray]

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サメの派生物として浮かび上がってきた三種類の獣、鹿と猪と犬がちょうどいい具合に揃っているのは偶然なのだろうか。

 

さて、ずいぶん長くなってきたので今回はここでお開きとするが、もちろんまだまだ次回へ続くのである。ちなみに次回はこの「もののけ姫」的な世界観からの考察に加えて、魚類のサメとはまた別のアプローチから、都万村の妖怪に迫ってゆきたいと思っている。

 

では次回へ続く。

 

 

 

 

 

  

 

 月白貉