ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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小池婆の怪 (其ノ壱)- 松江百景異聞 -

島根県松江市に言い伝わるこんな話をご存知だろうか。

 

昔、雲州松江の「小池」という武家に仕える草鞋取の男が、正月に一日だけ暇をもらい古志原の実家に帰った時の話。

 

松江百景異聞 - 小池婆(こいけばばあ)の怪 - 其ノ壱

 

翌日が主人の登城日にあたるため、それに合わせて帰らねばならぬと言って、まだ夜も明けぬ早朝に実家を出て闇に包まれた道を急ぎ、やがて檜山に差し掛かった。

 

この山は鬱蒼と木が生い茂っていて、昼間でも日の当たらぬ暗い場所で、ましてや夜も明けぬ時間は漆黒に包まれている。そんな真っ暗闇の山道をさらに歩を早めて先を急ぐ男の背後から、どこからともなくワラワラと集まってきたおびただしい数の狼の群れが後を追いかけてくるのがわかった。狼は後ろばかりではなく男の進む先からも集まってくる。進退窮まった男は路傍の大木にしがみつき、その上に登って狼の難を免れようとした。

 

ところが狼の大群は、肩車を組んでどんどんと積み重なり、木の上に逃れた男のすぐ足元に達するところまでやってきた。しかしあと一息のところで狼の数が足りない。すると積み上がった一番上を陣取る一匹の狼が、

 

「小池婆を呼んで来い!」

 

と唸り声をあげた。

 

するとしばらくして、闇の中から溶け出すようにして一匹の大猫が姿を現し、梯子のように積み上がった狼たちの上をスルスルと男目掛けて登ってきた。

 

これはいけないと思った男はむんと構えて猫が来るのを待ち受け、猫が間合いに入ったその瞬間に腰に携えた刀を抜き放って猫の眉間に一刀を浴びせ掛けた。

 

確かな手応えがあり、何か金物の落ちるような音がしたかと思うと、大猫も狼の大群も一瞬にして闇の中に消え去ってしまった。

 

男はホッと胸を撫で下ろし、木の上で夜の明けるのを待っていると、まもなく空が白み始めたのがわかり、あたりに人声が聞こえ出した。どうやら夜が明けたらしい様子に、男が木から下りてみると、その足元には茶釜の蓋が落ちている。はてと思ってよく目を凝らして見てみると、それは朝晩見慣れた主家の品であることに気が付いた。男は不思議に思いつつも、この蓋を懐に入れて持って帰った。

 

さて男が主人の家に帰ってみると、なにやら家の中が騒がしいのでどうしたのかと思うと、昨晩主人の母親が厠へ向かう途中につまずいて転倒し、額に大怪我を負ったとのことであった。さらに一方では、茶釜の蓋が紛失したといって皆でそれを探し回っている。

 

男は奇っ怪に感じ、主人のところまで行って帰路で起こった不可思議な出来事を語り、懐に入れた茶釜の蓋を差し出して見せた。すると主人は「相分った。」と言ってうなずき、母親の寝ている奥の間に入っていった。

 

主人が奥の間で蒲団を深くかぶって寝ている母の様子をうかがっていると、母親は何度も高いうめき声を発しながら苦しんでいたが、どうもその様子がいつもの母らしくない。それどころかそのうめき声は、よもや人間のものではないような恐ろしいものに思われた。「母上、母上、ご容態は?」と呼びかけても一向に返事がない。

 

これはいよいよ怪しいとにらんだ主人は、母の寝ている蒲団の足元をそっと覗き込むと、茶と白の斑をした大きな猫の尻尾のようなものがとぐろを巻いて蠢いている。

 

驚いて一瞬飛び退いた主人は意を決して腰の刀を抜き、蒲団の上からグサリと一刀刺し込むと、「ギャアァァァッ!」という獣の鳴き声のようなおぞましい悲鳴が上がった。

 

蒲団をめくってその中身を見てみると、そこには母とは全く似ても似つかない一匹の巨大な老猫が血を流して息絶えていた。

 

狼が「小池婆」と呼んでいた大猫は、家で飼っていた猫が年老いて化物となり、小池の家の母親を食い殺して、母親になりすましていた化猫だったのである。

 

この「小池婆(こいけばばあ)」は日本全国的に酷似した話が存在している日本の説話の類型の一つで、千疋狼あるいは千匹狼(せんびきおおかみ)と言われるものである。

 

話の基本となっているのは、夜間に狼の大群に襲われた人間が木の上に登って狼から免れようとすると、狼たちが梯子のように肩車を組んで木の上の人間を襲おうとするものの、あと一歩のところで狼の数が足りずに人間まで届かず、狼が自分たちの親玉の化け物を呼びつける、というものである。

 

高知県室戸市の「鍛冶が嬶」、新潟県弥彦山を始め、山形県福島県、静岡県にも伝わる「弥三郎婆」、そしてこの島根県松江市での「小池婆」などなど、

 

日本全国にこれに類する多くの説話が伝承されている。

 

By Takehara Shunsen (竹原春泉) (ISBN 4-0438-3001-7.) [Public domain], via Wikimedia Commons

 

さてでは、この松江市に伝わる千匹狼型の伝承「小池婆」であるが、その源流を探るためにいろいろと文献をあさってその詳細を調べてみた結果、ここでお話しした、いわゆる中カテゴリである「小池婆」タイプの中にも、いくつかのバリエーション、つまり小カテゴリがあることがわかってきた。

 

というわけで、まずこのタイプの「小池婆」を「小池婆タイプA - 草鞋取型 -」と呼ぶことにする。

 

この小池婆タイプA - 草鞋取型 -(以下タイプAとする)のキーマンである、狼に襲われる人間は、小池の家に草鞋取として仕える男で、舞台は檜山の山中となっている。

 

この檜山というのはJR松江駅の南に位置する小高い丘陵のことで、

 

「檜山」あるいは「檜山トンネル」という現在の名前からも確認できる。また男の実家がある「古志原」という地名も、檜山の南側の地域にいまでも存在する地名である。

 

この檜山は歴史にもその名を登場させていて、松江開府にあたって堀尾吉晴安来市広瀬町の富田城から松江に移る折に、この檜山の尾根道を通って松江に入ったとされている。

 

そのため檜山の尾根道は「松江開府の径」とされているそうである。

 

さて、では男が仕えていた「小池」という家は存在していたのか、という話になるのだが、それは「松江百景異聞 - 小池婆の怪 - 其ノ弐」に続かせていただこうと思う。

 

 

 

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