小池婆の怪(其ノ参)- 松江百景異聞 -
「松江百景異聞 - 小池婆の怪 -」も今回で其ノ参を迎える。
これまでの話、其ノ壱と其ノ弐を未読の方は、以下にその道程を標すので、お暇があれば読んでいただけると幸いである。
さて、これまでに二つのタイプの小池婆の話、「小池婆タイプA - 草鞋取型 -」と「小池婆タイプB - 六部型 -」を見てきたわけであるが、もう一種類、この二つとは趣の違った、ある意味では他の物よりも注目すべきタイプのものが存在する。
それは「小池婆タイプC - 小池左馬八郎型 -」なるものである。
ではまず、その物語をお話しよう。
松江藩の北堀町に居を構える小池左馬八郎という武士には年老いた母がいた。
その母が、近頃どうも様子がおかしい。食事も自分の部屋に籠もって身を隠して独りきりでするようになり、夜分遅くに戸外をうろつき回ったかと思えば、加減が悪いと言って日中は床に臥せったり、唐突にわけのわからぬことを口走ったりと、その挙動にも不可思議な点が目立つようになった。そんなことが暫く続くようになったある日、近隣でおかしな噂がたっているのを知ることになる。
「小池の婆さんは、猫婆だ。」
自分の母親が猫婆だとか化猫だとか、陰口を叩かれているのである。当初は馬鹿げた話だと思ってまったく気にも掛けていなかった左馬八郎だったが、日増しにひどくなる母の奇妙な言動から、次第に世間の噂が気にかかって仕方がなくなってきた。
そんなある夏のこと、藩主に従って大手前の盆踊りを見物にでかけた折、櫓の周りを踊って回る人々の中に唯一人、身を開けて狂ったように浮かれ踊っている異様な雰囲気の老婆がいることに気が付いた。よく見てみるとそれはなんと左馬八郎の母で、白銀の乱れ髪に手ぬぐいで頬かむりをして、
「小池の婆さん、まだまだお色気があ〜」
などと奇声をあげて歌いながら踊り狂っているのである。
武士の母としてあるまじき振る舞いを目の当たりにして驚きを隠せなかった左馬八郎の脳裏には、市中でのあの忌まわしい噂のことが思い出された。そう思うといてもたってもいられなくなった左馬八郎だったが、その場はなんとかこらえてやり過ごした。
翌日、昨日の母の奇怪な言動を受けた左馬八郎は藩主に申し出て、このしばらくの母の不可思議な言動を語った後、
本物の母と入れ替わって自宅に巣食う化猫退治の願いをだして、その許しを得る。
そしてその日の深夜、奥の間の蒲団の中で何やらゴソゴソと物音を立てながら寝ている母のところにそっと忍び寄り、音もなく静かに刀を抜くと、鋭い一太刀で母を斬殺してしまうのである。
さて、母に化けた妖猫が喰らった人間の骨かすが床下にでもあるものだと思い床をはね上げるが、そこには骨など一欠片もなく、また蒲団の上で血まみれになって動かなくなった母の姿が、日が高くあがって昼になってからも、化猫の姿に変化を遂げることはなかった。
左馬八郎が化猫だと疑って殺したのは、本当の母だったのである。
その数日後、藩主から化猫退治の結果を尋ねられた左馬八郎は、致し方なく洗合土手で見つけた野良猫を斬り殺し、その猫の死体をもって事の次第を終わらせたのである。
このタイプCの小池婆の話は、「小池左馬八郎」という、より特定された「小池」の話として語られている。
そして、ほか二つの話のような化物退治ではなく、小池家での悲劇という主題が根底に流れているのである。
読んでいただいてもわかるように、この話に登場する小池家の老婆は、狼たちの親玉の化物ではなく、化猫の疑いをかけられたやや病気がちな普通の人間である。つまりこれは千匹狼の類型ではなく、独立した分類の「小池婆」の話ということになり、他のふたつのものとは明らかに大きく違っている。
他のタイプとの共通点はと言えば、小池という武家に関わる話だということ、そして武家の主人が化猫の疑いがかかった母親を斬り殺すという結末である。
ということは、このタイプCについて言うと、全国的に見られる千匹狼の類型を取る説話の変化形ないしは融合形ではなく、
この地域において古くから語り継がれてきた純粋な小池婆の話、
つまり他のふたつのものの原型となっているものではないのだろうか。
話の成立順ということになれば、おそらくタイプAは、このタイプCの話をベースとして、後にそこに千匹狼の説話が融合して出来上がった話であり、その千匹狼の類型に変化したタイプAに脚色を加えてより娯楽性を高めた話が、小池婆の変化最終形のひとつであるタイプBだという見方も考えられる。
ちなみに、この地域にはタイプBに酷似する構成を持つ別のシチュエーションを持ったタイプもまだ幾つか存在するのである、たとえば庄屋の家で巻き起こる化猫話などがその一例である。
まあそんなわけで、数回にわたってお話してきた「松江百景異聞 - 小池婆の怪 -」、おそらくこの話は、いまでは小泉八雲の有名な怪談話に隠れてしまっていて、あるいは単純に時代の流れで忘れ去られてしまっていて、ずいぶん廃れてしまっている説話のひとつだと個人的には感じる。
千匹狼のひとつとしての「小池婆」、あるいは妖怪の一種としての「小池婆」は、知る人ぞ知る名前であって、かの水木しげる大先生も、その著作で「小池婆」の話を妖怪画付きで書き残しているし、インターネットの検索を駆使すれば「小池婆」という単語は数多くヒットしてくる。
しかし、おそらくは、ここで語った「小池左馬八郎」の悲しい物語としての「小池婆」を知る人は地元でも少ないだろうし、あるいは今では見向きもされないのではないだろうか。
ただぼくは、そういったものに目を向けることこそ、地元を知る上で、土地を理解する上で、あるいは地域の力を再び蘇らせる上では、とても重要な事柄だと常々思っている。
もちろん小泉八雲のネームバリューに頼るのもひとつの手段かも知れないが、それだけにおんぶにだっこになって、自分たちはただ呆けてしまっているようなことでは、なにも変わりはしないだろう。
この地域に残る小さな説話を再発見してひとつ掘り起こすだけで、しかも小さなシャベルでちょっとその話の根子を軽く掘り起こすだけでも、ずいぶんと価値ある宝物が出てくるわけである。
今回お話したこの「小池婆」ひとつとっても、例えば松江市を広範囲に駆使した「松江化け猫怪談ツアー - 小池婆の源流をたどる -」なる、他に見ない個性的な、あるいは妖怪愛好家垂涎の企画だって組み上げられるのじゃなかろうかと、そういう話である。
とまあそんなわけで最後に、ぼくの目に映る今の某行政やらその他の関連組織の、変にねじ曲がって的をまったく射ていないやり方や意識が、あるいは馴れ合いだけに特化したような筋書きが、本当に地域の価値発掘につながっているのかということに、大いに苦言を呈して、お開きとさせていただこう。
月白狢