ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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小池婆の怪(其ノ弐)- 松江百景異聞 -

話を再開して「松江百景異聞 - 小池婆の怪 - 其ノ弐」に移りたいと思う。

 

「小池婆タイプA」の話を繰り広げた初回の其ノ壱をまだお読みでない方は、ぜひ其ノ壱からお読みいただくことをオススメするので、以下にその道程を標す。

 

 

前回の「小池婆タイプA」の最後のくだり、草鞋取の男が仕えていた「小池」という武家は果たして実在していたのか、という話をする前に、まずは別タイプの「小池婆」の話をさせていただこうと思う。

 

江戸末期の話、夕刻迫る頃、松江城下町を訪れたひとりの「六部」が、宿を探して歩き回っていたのだが、何故かどの宿もどの宿も断られてしまい、一向に宿が見つからない。 

 

そうやってあてもなく宍道湖の北岸に沿って西の方角に歩き続けてすっかり日も暮れかかった頃、目の先に空き家のような家があり、そこに小高い櫓が建っているのが見えてきた。

 

野宿よりはましであろうと考えた六部は、今晩の寝床をそこに確保しようと足を早めた。町のことに盲目であった六部にはわかるはずもなかったのだが、そこは堂形町に松江藩が設けた三十三間の射堂であった。

 

六部というのは「六十六部」の略称で、六十六回写経した法華経を持って六十六箇所の霊場をめぐり、一部ずつ奉納して回る巡礼の修行僧のことである。

 

射堂にたどり着いてみると周囲に壁などはなかったが、幸いにも屋根がついていたため、六部はその裏手から櫓を伝って入り込み、その中で休むことにした。

 

櫓の上で横になって、旅の疲れからすぐにウトウトとしはじめてしばらくした頃、下の方から何やら陰にこもってざわざわとする物音と何かの気配が感じられた。人でも来たのかと思って耳を澄ましていると、

 

「この上にびえん※1のものがいるぞ。」

 (※1の「びえん」とは方言で、新鮮な生ものを意味する、決して「鼻炎」ではない。)

 

という声が聞こえ、何かがあたりを蠢きながらカリカリと引っ掻くような音を立てている。はてなんだろうと思ってじっと動かずにその様子をうかがっていると傍らから、

 

「おい、小池の婆さんを呼んでこい。」

 

というヒソヒソと囁くような声が聞こえ、数人の人のような気配がワラワラと走り去ってゆくのがわかった。

 

はて奇っ怪なことだ、夜盗でも現れて相談をぶっているのだろうかと考えた六部は、静かに起き上がって闇に目を凝らし、夜盗の襲撃に備えて油断なく身構えた。そしてしばらく時が経った頃、再び下から声が聞こえてきた。

 

「きた、きた、きた。」

 

異様な気配とともに五人ほどの人々が集まってきたので、堪えきれず陰からそっと下を見下ろした六部は、はっと息をのんで口を押さえつけた。その闇の中には、ギラギラと鏡のように光る双つの大きな目と、波打つ白銀の長髪をおどろに乱し、口が耳元までも裂け広がった、吐く息も凄まじい老婆の姿が映っていた。すると先ほどまでざわざわと蠢いていた老婆の取り巻き達がそれぞれの肩に乗り継ぎ、梯子を作ってその妖しげな老婆をこちらに押し上げてきたのである。

 

真っ暗闇の中をいよいよ物音が迫り、老婆が床をガリガリと掻き毟りながらまさにこちらに飛び掛からんとする瞬間、六部は持っていた護身用の懐剣を抜いて、暗くて見えないながらも当てずっぽうで老婆に向けて懐剣を突き刺した。

 

確かな手応えがあり、何か硬い骨のようなものに跳ね返された鈍い感触が手に残ったが、あたりは静まり返って、ざわざわとした気配も物音も消え去っていた。

 

その恐ろしい出来事に眠れぬ夜を明かした六部が、明くる朝外に出て日の光に照らされた足元に目をやると、そこには大きな血痕が残っている。

 

これはもしやと思った六部はその点々と続く血痕の後をたどり、水田の畦道を通りぬけ、愛宕神社の東の麓に入り、ある屋敷の前にたどり着いた。

 

そしてその屋敷の表札に「小池某」と書かれているのを見て、六部はあっと声を上げる。そして血痕が屋敷の中へと続いているのを確認した六部は、意を決してその屋敷に案内を乞うた。

 

突然の訪問にずいぶんと訝しげな様子の家主に対して、六部は単刀直入にことをたずねる。

 

「ご当家には、白髪のご老婆がおられましょうか?」

 

すると家主は、それは自分の母親で今朝方から病と称して臥せっている、という。六部はさらに重ねて、

 

「失礼ですが、ご容態はいかほどでしょうか?」

 

とたずねると、家主はさらに訝しげな表情を浮かべたが、これも何かの因縁かと思ったのか、まあお上がりくださいと言って六部を座敷に招き入れた。そこで六部は、家主に昨夜の不可思議な出来事を語り、血の跡をたどってこの家までやってきたことを告げると家主はにわかに顔色を変えたが、話を聞き終わってから静かに語りだした。

 

「実を申すとかねてから、近頃は食事さえも家族とともにせぬ母の挙措に不審を抱いていた折、そちらのお話を伺って私も決するところがあったゆえ、しばらくここで、お待ち下さい。」

 

家主はそう言って、母の休む奥の間に姿を消した。

 

「母上、ご容態にお変わりは、何かお好きなものでも召し上がってみたらいかがでしょうか?」

 

様子を伺いながら小池がそう尋ねると、

 

「では、すまないが鯛の塩焼きを。」

 

と母はそう言ってこたえたので、小池は土手町の魚屋に女中を走らせて、用意をととのえると飯を添えて母に前にすすめてみた。すると母はいつものように、

 

「早速いただくことにするが、もう私にかもうてくれるな、あなたは、ほれ、お退がりなさい。」

 

とそう言った。小池は「では。」と言って部屋を出るなり、戸の僅かな隙間からこっそりと中をうかがっていた。すると、蒲団に臥せっていた母がゴソゴソと四つん這いになって蒲団から這い出てきて、箸も取らずに、両の手で鯛を鷲掴みにしてバリバリと骨ごと齧り付きだした。耳まで赤く裂け広がった口には牙をさかだてている。

 

母の正体にギョッとして一瞬怯んだ小池だったが、フンと気を入れて襖を蹴破ると母の部屋に踏み込みながら腰の刀を抜き放ち、「おのれ!」と叫びざま化物の肩先深くに一太刀切り込んだ。

 

食べることに夢中で虚をつかれた化物だったが、すぐに鯛を脇に投げ捨て、がっと小池の方に顔を向けて眼光を光らせたかと思うと、両の手の先に槍のような爪をさかだてて飛び掛ってきた。

 

小池がすかさず「化物め!」と気を発して二太刀目を浴びせ掛けると、

 

「ギャオス!!!」

 

と不気味で甲高い叫び声を上げ、体から血を吹き出してバサッとその場で息絶えた。そこに倒れていたのは母には似ても似つかない巨大な老猫であった。

 

騒然となった邸内をなだめた小池が六部とともに母の部屋の床をはねてみると、その床下には無数の人骨があたりを埋め尽くしていた。

 

長い間小池の母が飼っていた古猫が年を経て化物となり、飼い主を噛み殺してその肉を喰らい、老婆になりすまして外で人を襲っては喰らっていたのである。

 

最後に小池は六部に厚く礼をいい、化猫に喰われて死んだ人々の骨を墓地に埋葬して、法要を営んだということである。

 

By Toriyama Sekien (鳥山石燕, Japanese, *1712, †1788) (scanned from ISBN 978-4-336-03386-4.) [Public domain], via Wikimedia Commons

 

いかがだろうか、「小池婆タイプA」の話と比べてみると、基本型はもちろん同じ話ではあるのだが、ずいぶんとシチュエーションに違いが見られるところがおもしろい。

 

このタイプを「小池婆タイプB - 六部型 -」とする。

 

タイプAとの比較として目立ったポイントを上げてみると、

 

まずタイプAで小池婆に襲われるのは「古志原」に実家を持つ地元の人間であることに対して、タイプBでは巡礼の六部という設定になっている。

 

ここがずいぶんと大きな違いではないだろうか。

 

そして小池婆襲撃の場所も、タイプAでは檜山の山中となっているのに対して、このタイプBでは、宍道湖北岸沿いの西に位置する松江藩の射堂というなかなか具体的な場所の設定が見られる。

 

この場所に実際に松江藩の三十三間の射堂と櫓があったのかどうかは未検証であるが、近日自身でのフィールドワークを含め詳細を調べてみなければなるまい。

 

またこの襲撃の様子だが、タイプAの檜山の山中では明らかに無数の狼の群れと、親玉である小池婆という組み合わせとして語られている一方、タイプBでは小池婆の手下たちがどんなものなのか、人間なのかあるいは狼なのかということは具体的には述べられていない点、そして手下の人数もそれほどの大人数ではないような印象を受ける。

 

もう一点気になるのが、夜間に襲われる人間が小池婆を刀で切りつけるシーンでの酷似点である。

 

タイプAで言うと草鞋取の男であり、タイプBで言うと六部になるのだが、小池婆に刀で斬りつけた際、タイプAの場合には、

 

確かな手応えがあり、何か金物の落ちるような音がしたかと思うと、大猫も狼の大群も一瞬にして闇の中に消え去ってしまった。

 

となっているのに対して、タイプBでは、

 

確かな手応えがあり、何か硬い骨のようなものに跳ね返された鈍い感触が手に残ったが、あたりは静まり返って、ざわざわとした気配も物音も消え去っていた。

 

タイプAにおいては、この金物の音は重要で、小池の家で日常的に使用している茶釜の蓋を小池婆が落とした音(あるはこの蓋で斬撃を避けようとしたのかもしれないが)であるということが、この話においてのひとつのキーポイントとなる。まあもちろん、なぜ小池婆がそんな茶釜の蓋などを携帯していたかは謎であるが・・・。

 

それに比べるとタイプBでの「何か硬い骨のようなもの」という部分に、果たしてここで語る必要性があるものなのかという若干の疑問符が上がる。

 

この部分だけを比較して考えると、

 

おそらくは物語の成立時期として、タイプAの方が先に語られており、それを元に創作された話がタイプBなのではないのかということが可能性として考えられる。

 

タイプAにおける茶釜の金属音の名残として、あまり意味を持たない「何か硬い骨のようなもの」という硬質な物質のイメージだけが意味を持たずに残留してしまったのがタイプBにおける表現ではないのかということである。

 

そして最も重要なポイントとしては、「小池」という武家の場所であるが、このタイプBではある程度具体的な屋敷の位置を示す情報が語られている。六部が血痕をたどって歩いた道筋によれば以下の通りである。

 

射堂から水田の畦道を通りぬけ、愛宕神社の東の麓に入り、ある屋敷の前にたどり着いた。

 

一方、タイプAに関しては、小池の家の具体的な場所は語られてはいない。タイプBに関していうと、小池の母親になりすましている化猫が「鯛の塩焼き」が食べたいと言って、小池が魚屋まで女中をつかいに行かせる件があるが、その場所も「土手町の魚屋」という具体的な位置情報が語られていることから、おぼろげながらも屋敷との位置関係が浮かんでくるような構成となっている。

 

さて、簡単にだがこのふたつのタイプを比較してみての結論として、やはり物語の成立時期としては、前述の通りどう考えてもタイプAが先行しているのではないかということである。

 

タイプBの話に関しての、言い伝えあるいは語り伝えにしては、各所に散りばめられた地名などの詳細な語彙が、大衆娯楽としての物語的な創作、あるいは演出として付加され過ぎているのではないかという点、そしてこの説話の基本型になっている千匹狼の最も重要なポイント、無数の狼の登場場面がほとんどなくなってしまっている点、また前述した茶釜の蓋と硬い骨の表現の比較などが、個人的にそのような見解を述べさせていただく理由である。

 

さて、「小池婆タイプ」の話は、実はこの二つだけには当然留まらず、ぼくが短期間に小手先で調べただけでも、まだ他に二種類ほど別タイプの話が存在する。そこには初回である其ノ壱の最後と、今回の其ノ弐の冒頭で触れた、より具体的な「小池」という武家の存在に繋がってくるのだが、

 

それは、次回の「松江百景異聞 - 小池婆の怪 - 其ノ参」でお話したいと思う。

 

 

 

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