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ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲が自らの感覚で日本を歩きまわって見聞を広めたように、故郷を離れて旅を続けるぼくが、ぼくの感覚でその土地を歩き回って、見たり聞いたり嗅いだり触ったりした、ぼくの見聞録です。

逝ってしまった怒り爺と、西行の反魂法でゾンビ蘇り日記。

怒るって疲れる。

 

ぼくは怒りん坊なので、ついつい些細な事で怒ってしまって、結局最後に自分自身が疲弊して、ひっくり返ってしばらく死亡する。

 

もう何度となく死亡しては蘇生し、死んでは生き返り、もう一端のゾンビみたいなものである。『怒れるぼくゾンビ』というウェブログ名にでも変更して差し支えない気がするが、そんなタイトルにしてホラー映画のことばかり書いていたらホラー映画専門ブログみたいになっちゃうので、このウェブログは決してホラー映画専門ブログではないつもりなので、変えない。

 

ぼくの祖父もとんでもない怒りん坊だった。もうあらゆるものに、世界に対して、すべてに対して怒っていた気がする。そしてすっごく嫌われ者だった。家族にさえ嫌われていた。ぼくも多感な時期は嫌いになったこともあった。けれど今思えば、祖父の怒りは正義であり、結局祖父が何に対してあんなに怒っていたのかと考えると、最終的にはあれは悪である自分自身に対しての怒りだったのではないのだろうか。

 

近頃の日本人は、他人の些細な過ちに対する批判や非難ばかりしていて、そういう行為が正しいみたいな風潮さえある。そのくせ自分の巨大な過ちには大いに寛容だったりする。

 

自分に怒って、自分に謝って、自分に感謝して、そういう風に自分に対峙して生きてゆくのは想像以上に苦しいのだろう。それに比べたら、誰かのことを怒って、誰かに謝って、誰かに感謝していたほうがよっぽど楽なのだろう。

 

ぼくの祖父はたぶん、自分に対峙して生きていたんだろうなあ。

 

祖父が死んだ時、寺の方丈さんが祖父について言っていたことが印象的だった。

 

「〇〇さんは、いつも私のところに来られて、そしていつも世の中を憂いておられました。」

 

その気持ち、この頃よくわかる気がする。ぼくの怒りん坊がもし祖父からの隔世遺伝なら、今のぼくを客観的に眺めてみたら、生きていた頃の祖父みたいに、頑固で怒りん坊で不器用で、そして嫌われ者なんだろうなあと、今日、朝起きてそう思った。

 

祖父は結局最後には痴呆症になって、赤ん坊みたいになって、言葉も喋れなくなって、ぼくのことも忘れてしまって、渡り廊下ですっ転んで地面に落っこちて、額に早乙女主水之介みたいな三日月型の“天下御免の向こう傷”をこしらえたりしながら、しばらくしてあの世へ突っ走っていった。

 

もし祖父が西行の反魂法でゾンビみたいに蘇って、今のぼくの目の前に現れて、今のぼくの体たらくぶりを見たら、一体なんて言うのだろうか。

 

そんなこんなで一日がはじまる。

 

きょうは誰かに対して怒るんじゃなくて、自分に対して大いに怒ろう。そして自分に対して大いに謝って、自分に対して大いに感謝して、夜になったら自分のすべてに大いに乾杯して、大いに酒を飲んで、大いに眠ろう。今日一日それができれば、明日も出来るかもしれないさ。

 

でも明日のことなんてどうでもいい、まずは今日だよコンチクショウ。

 

前略、おじいちゃん、あの世でもまだ、大いに怒っていますか?

 

逝ってしまった怒り爺と、西行の反魂法でゾンビ蘇り日記。

 

 

 

別冊太陽 西行 捨てて生きる (別冊太陽 日本のこころ 168)

別冊太陽 西行 捨てて生きる (別冊太陽 日本のこころ 168)

 

 

月白貉 - Mujina Tsukishiro