やがてボケてしまった、薄ら美しい日記。
ぼくはここ数年、六年とか七年とかかな、テレビを一切観ていない。
テレビも観ていないし、新聞も読まないし、ラジオも聞かない。いわゆる日本の情報系のWEBサイトもまったく閲覧しない。Yがつくなんちゃらニュースとかに代表される例のくだらないやつもね。
ネットで見るのは、海外サイトのごく一部の映画情報、特にホラー映画の情報と、海外のごくごく個人的に運営されている映像系の情報ウェブログ、そんなくらいかな、それでもここ一年ほどは、それもまったく見ていなかった。なにも見ていなかった。鏡で自分の顔すらも見ていなかった。見ていたのは、時々きれいな空と、大抵は汚い小さな湖だけ。あとは自分で書いている(ここ一年書いていなかったけれど)ウェブログを、時々読み返すくらいだったかな。
でも映画は割と観ていた。レンタル店で借りてきてね。香港製のポンコツなプロジェクターで、同じメーカーの安物のスクリーンに映して、いまでも観ている。映画の音声をファンの音が凌駕するようなプロジェクターだけれど、なんだか古い映画館みたいな雰囲気でいいのさ、そうやって最新映画を楽しんでいる。
話題はくるりと変わるけれど、数日前かな、「痴呆症」って言葉を使ったら、それは違うと言われた。
「認知症」です、と。
ふ〜ん、ボケたって言葉も、違うと言われたけれど、ふ〜ん。
ぼくの祖父は、晩年大いにボケてしまって、遠方で暮らしていたぼくのことを忘れてしまった。ある日、実家に帰省すると、「すみません、どなたかわかりませんので、家のものを呼んで参ります」と丁重に、恥ずかしそうに言われ時、なんだかもう、無性に切なかったことを覚えている。幼い頃、共働きだった親に代わって、祖父はぼくとたくさん遊んでくれた、まあ、頑固で偏屈な祖父だったが、それでもたくさんの愛情を注いでくれた。
その後、ボケは進行し、言葉も話せなくなって、赤子のようになった。小便も大便も漏らしまくって、食事の際には皿を舐め回して、祖母に怒られていた。そんな時はワーワーとわめき、奇声をあげ、本当に赤子のようになっていた。ぼくのことを見ても、もう「どなたですか?」とも言わなくなっていた。
当時、認知症なんて言葉は確かなかった気がする。ボケたとか、痴呆だとか言われていた。読んで字の如くだよね。
昨今、いろんな言葉を綺麗事にしがちである。でも、綺麗事にするのはその名称だけで、なんら本質的な問題を解決しようとはしていない。
それは老人に課せられたそういう状況だけではなく、様々なことで、言葉ズラだけを整えて、「ああ、きれいだ、めでたしめでたし、よかったよかった」と、終わりにしてしまう。
いろんなシチュエーションでよく思うのだけれど、呼び方や言葉ヅラではなくて、その状況をどうにかすることのほうが、よっぽど大切なことで、その汚らしいと思えるような状況にきれいな言葉をかぶせたところで、いったいその問題がどうにかなるのかと、ちょっと苛立ちさえ感じることがある。
ちなみにさ、ボケっていうのは外国語でも「Bokeh」だよね、それは、写真の焦点が合っていないことで使われる。日本語でもそれを「ボケ」と言うけれど、英語の方の意味は、厳密には失敗による“ピンボケ”のことではなく、あえてぼやけた領域を創り出すことで美しさを強調する手法のことをそう呼ぶと聞いたよ。
じゃあ、「うちのおじいちゃん、ボケちゃってさあ!」ってほうがいいじゃん。
あえてぼけた領域を作り出すことで、生きる美しさを強調する術を手に入れた祖父だ、めっちゃかっこいいじゃん。
認知って何やねん、ぼくの祖父はあの頃、何ひとつも認知なんかしていなかったし、たぶんしようともしていなかったよ。だから、たぶんボケ老人って言われたほうが正しかったし、良かった気がする。
何もかもをさらけ出すことが、それが自意識を超えなければ出せなかったとしてもさ、たぶんその美しい域に達したのだろう。
話が、どこにゆくのかわからないのが、日記だ。
隔世遺伝的に、ぼくがある日ボケてしまって、大便とか漏らしまくって、全裸でひゃーひゃー走り回って、愛宕山の頂上から暴言と奇声と共に皿を投げまくった時、「彼は認知症なんです、すみません」って言葉じゃなく、「あいつは、いまボケてるでしょ、なんて美しいんだろうなあ。」ってさ、そう言ってくれる人がいることを心から願いたい。
最初に書きたかった日記とおおよそ違う内容になったのは、ぼくがボケだしているからだということは、きみだけに明かす秘密だ。
おやすみさんかく。
月白 貉