ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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蜘蛛の巣が教えてくれた、いくつかのこと

部屋の片隅に、一週間ほど前から蜘蛛の巣がはられている。

 

位置はベランダの窓際と床とのすれすれ。女郎蜘蛛のような類ではなく、地を這う蜘蛛の類だが、蜘蛛の種類には詳しくないから、そこには触れない。

 

部屋の掃除をしていて見つけたのだが、まあそれほど蜘蛛を忌み嫌っているわけではないので、窓から入ってくる小さい虫をとってくれるだろうと思い放置しておいた。

 

案の定、数日後には、その蜘蛛の巣にものすごい数の小さな虫が捕まっている。

 

これはよい防御壁だなあと思いつつ、もう少し放置していたら、床に蜘蛛の食べカスの山が積もり出す。いわば虫のバラバラ死体の山である。さらには気が付けば、半端なく大きな羽虫や、あるいは中型の蜂なんかも、巣にかかっていて、時には蜘蛛に毒針で刺された獲物が、まさに糸でぐるぐる巻にされている場面にも出くわすようになった。いよいよ、室内の空間にある蜘蛛の巣にしてはキャパを超え出したので、いや、蜘蛛の巣のキャパじゃなくて、ぼくの精神的なキャパなのだが、蜘蛛の巣をぶっ壊してきれいにしてみる。

 

壊してから、すごく心が痛んだ、なぜだろう・・・。

 

蜘蛛の巣が教えてくれた、いくつかのこと

 

蜘蛛はもちろん殺さなかった。でも巣を壊されてトボトボと去って行く姿をみたら、すごい罪悪感があった。次の日、その蜘蛛は同じ場所に同じような巣をはっていた。近付いて写真を撮ろうとしたら、うっかり横においてあった新聞紙を蹴飛ばして、今度は故意ではないが、再び巣を壊滅させてしまう・・・。またしても蜘蛛は、部屋の隅に去ってゆく。

 

うっかり巣を破壊した瞬間、声に出して「あ〜!!ごめんっ!!!」と、絶叫してしまった。

 

次の日、帰ってくると、また同じ場所に、また同じような蜘蛛の巣がはられている。まだ獲物はかかっていないまっさらの蜘蛛の巣。上からじっと蜘蛛の巣をのぞき込むぼくを、彼はいったいどんな思いで見ているのだろう、あのたくさんの目で。そう考えると、少し恐ろしくなる。

 

蜘蛛の巣をはったことがないからわからないが、すごく大変な作業だろう。

 

それを神々の遊びのような感覚で、あるいはうっかりで、度々壊されているわけだから、蜘蛛にしてみたら堪ったものではないはずだ。

 

ぼく自身がもし蜘蛛で、自分が一生懸命にはった蜘蛛の巣を何度も何度も壊されたら、あるいは殺意だって沸き起こるんじゃないだろうか・・・。

 

そんなことを思った、蒸し暑い日の午後だった。

 

 

 

 

月白貉